山本浩二監督「我が道」特別版

第23回 6番降格、3試合干されて発奮

[ 2013年2月21日 06:00 ]

84年10月4日の大洋戦、6回に逆転3ランを放ちガッツポーズで一塁を回る(左はレオン)

 コーチ兼任となった1984年(昭59)の5月5日、巨人戦(後楽園)の4回、槙原寛己から左前打を放ち、通算2000本安打を達成した。

 大学出身者としては長嶋茂雄さん、村山実さんに続く3人目の名球会入り。ONをはじめとする錚々(そうそう)たるメンバーに加われて素直にうれしかった。

 ところが、この年は開幕から調子が上がらず、6月15日の中日戦(ナゴヤ)から8年ぶりとなる5番に下げられた。それでも不振が続き、さらに打順が下がった。

 8月7日の巨人戦(後楽園)、11年ぶりの6番である。さらに…。2―2で迎えた8回1死三塁。5番に入った長内孝が目の前で敬遠された。さすがに穏やかではいられなかった。

 マウンドには西本聖(現オリックス投手コーチ兼バッテリーコーチ)。シュートを狙い打った。左中間スタンドへ飛び込む決勝3ラン。意地の一発だった。

 だが、翌日からまた2試合ノーヒット。打率は.247まで落ちた。次の大洋(現DeNA)3連戦から出直そうと思ったら初戦の練習前、この年から1軍打撃コーチになった1年後輩の内田順三が申し訳なさそうな顔で言ってきた。

 「浩二さん、きょう休みです」

 「えーっ」と思ったが、調子が調子だから仕方ない。1試合だけと思ったら次の日も、さらにその次の日も…。6番降格の上に3試合も干されたのである。カチンときて古葉竹識監督とは1週間か10日、口をきかなかった。

 この荒療治は効いた。遠征から広島に戻ってスタメン復帰し、ここから先は38試合でノーヒットだったのは5試合だけ。打順は5番、4番と上がり、打率も.293まで戻した。

 4度目の優勝を決めた10月4日の大洋戦(横浜)、0―2で迎えた6回無死一、三塁。関根浩史から左翼席へ逆転で決勝となる3ランを放った。ネット裏の放送ブースでNHKラジオの解説をしていたセン(星野仙一)に向けてガッツポーズをした。

 数日後、古葉さんから夏場に3試合外した理由を聞かされた。

 「後半必ず大事なときがくる。そのとき頑張ってもらうために休ませたんだ」

 初優勝した75年のことを思い出した。8月7日のヤクルト戦(神宮)。腰痛がひどくて休みと思っていたらスタメン表に名前を書かれた。7―7で迎えた8回1死三塁。古葉さんがベンチから出てきて何を言うかと思ったら「スクイズするか?」

 カチンときた。「打ちます」と言って石岡康三さんのフォークを右翼席へ運んだ。決勝2ラン。プライドを刺激すれば発奮する。古葉さんはすべてお見通しだった。

 「耐えて勝つ」を座右の銘とする古葉さん。主力選手がへそを曲げかねないことでも、よかれと思えば平然とできる監督だった。

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