山本浩二監督「我が道」特別版

第20回 世界の王さんと球宴で2本の競演

[ 2013年2月18日 06:00 ]

79年の球宴第3戦でサヨナラ本塁打を放ち、一塁走者の王さん(左から2人目)に続き三塁を回る

 初めてホームラン王になったのはプロ入り10年目の1978年(昭53)だった。世界のホームランキング、王貞治さんを破ってのタイトル。感慨深かった。

 62年から13年連続ホームランキングに輝いた王さんは75年はふくらはぎのケガもあって33本に終わり、43本を打った阪神のブチ(田淵幸一)にタイトルを譲った。

 だが、そこからまた巻き返すのが王さん。76年49本、77年50本で2年連続でキングに返り咲いた。78年は39本。私は44本で5本差をつけた。

 翌79年の球宴第3戦(神宮)では4番の王さんと5番の私がともに2本のアベックホームランを放った。ちなみに3番は阪神の掛布雅之だった。

 2回、先頭の王さんが日本ハムの高橋直樹さんから右翼ポール直撃の先制弾を放てば、私はバックスクリーンへ。2者連続ホームランで続いた。

 4―3で迎えた6回、王さんは近鉄の村田辰美から右中間へ2本目のソロ。そのまま試合が終われば、MVPはすんなり王さんに決まっているところだった。

 ところが、巨人の新浦寿夫が9回、日本ハムの柏原純一にホームランを打たれて同点。その裏だ。先頭の王さんが四球のあと、私は近鉄の柳田豊から右翼スタンドへサヨナラ2ラン。フルカウントからの外角球だった。MVPを横取りしたみたいで王さんに申し訳なかった。

 そのとき全パのマスクをかぶっていたのが阪神から西武に移籍して1年目のブチ。「同じ打たれるなら王さんに打たれりゃよかった」と悔しがっていた。

 通算本塁打は868本塁打の王さんに対して536本。記録では全然かなわないが、唯一私が抜いたのがオールスターの通算本塁打記録だ。13本の王さんに対し、私は14本打った。

 王さんと球宴で競演した79年のホームラン王は48本の掛布。私は42本に終わったが、113打点をマークして初の打点王に輝いた。75年の首位打者、78年の本塁打王に続いて打撃3冠を制覇したことになる。

 カープ球団創設30周年にあたるこの年はレギュラー2年目の高橋慶彦が1番に定着。33試合連続ヒットのプロ野球記録をマークし、55盗塁で盗塁王にもなった。打点が稼げるわけである。

 2番の三村敏之がつないで3番は来日3年目のジム・ライトル。4番の私を挟んで5番がキヌ(衣笠祥雄)、6番エイドリアン・ギャレット、7番に水谷実雄…。3番から7番までホームラン20本以上の強力打線だった。

 投手陣も先発は17勝を挙げた北別府学を中心に池谷公二郎、山根和夫、福士敬章…。中継ぎの大野豊、渡辺秀武から抑えの江夏豊につなぐ。選手個々が自分の役割分担をよく理解していた。

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