山本浩二監督「我が道」特別版

第17回 シリーズ前に30万人大パレード

[ 2013年2月15日 06:00 ]

75年10月20日、優勝パレードでファンの声援に応える。左は古葉監督

 広島の街は大騒ぎだった。シーズン最終戦の翌日、胴上げから5日後となる10月20日。快晴の平和大通り(通称100メートル道路)で優勝パレードが行われた。

 私たちは8台のオープンカーに分乗。西観音交差点から三川町交差点に至る2.7キロの沿道には30万人もの市民が詰めかけた。小旗が打ち振られ、紙吹雪が舞う。

 戦後30年。被爆地の復興を願って1950年(昭25)に創設された市民球団が26年目にして初めてセ・リーグを制した。沿道のあちこちに遺影が見えた。カープの優勝を夢見ながら亡くなられた人たちである。

 当時の広島市の人口、約85万人の3分の1以上もの人が集まったこのパレードをきっかけにして77年から毎年5月3日から5日まで「ひろしまフラワーフェスティバル」が開かれている。

 初優勝に加えて私は初タイトルとなる首位打者を獲得。連日祝賀行事や祝宴が続き、日本シリーズを前にすっかり達成感に浸ってしまった。

 阪急(現オリックス)とのシリーズが開幕したのは優勝パレードの5日後の25日だった。敵地・西宮球場からスタート。最初は地に足が着いてなかった。目線が浮いている感じがした。

 第1戦は延長11回3―3の引き分け。私は5打数1安打だった。1点を追う8回無死二塁、先発の足立光宏さんから右中間へ同点三塁打を放ったが、勝ち越しのホームインはならなかった。第2戦は1―5と完敗。山田久志に4打数無安打と抑え込まれた。

 広島に戻った第3戦は序盤4点をリードされ、6回に山口高志から左翼席へ反撃ののろしを上げる2ラン。7回に三村敏之の適時打で追いついたが、9回に2発を浴びて4―7で敗れた。

 雨で1日延びた第4戦は3―3で再び延長に入り、13回に1点ずつ取り合って4―4の引き分け。左越えソロを含む5打数3安打2打点も勝利は遠かった。

 第5戦も4打数2安打。1―2で迎えた9回、ゲイリー・ホプキンスと私の連打で無死一、二塁としたが、山田から山口への継投で後続が抑えられた。

 再び西宮球場での第6戦は2点を先制しながら逆転され、3―7の完敗。1勝もすることなく4敗2分けで敗れた。

 MVPには6試合中5試合に登板して2勝1セーブの山口が選ばれた。当時のシリーズはすべてデーゲーム。山口が登板する試合終盤は日が傾いて影がマウンドと打席の間に入る。スピードガンがあったら楽に150キロ出ていたと思われる高めのホップする球がよけい見づらかった。

 私は24打数8安打、打率.333、5打点。2本塁打とまずまずで、敢闘賞をもらった。

 日本シリーズでは1つも勝てなかったが、悔しさよりリーグ優勝の喜びの方がはるかに大きかった。

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