山本浩二監督「我が道」特別版

第16回 大泣き初優勝キヌと抱き合った

[ 2013年2月14日 06:00 ]

セ・リーグ初優勝を決め、美酒を浴びる(左から)衣笠、古葉監督、筆者

 巨人最後のバッター、柴田勲さんの打球がレフトの水谷実雄のグラブに収まった。1975年(昭50)10月15日午後5時18分、感激の瞬間がやってきた。

 スタンドが真っ赤に染まった後楽園球場で初優勝。マウンド近くにできた輪を目掛けてセンターから一目散に駆けた。ファンもスタンドから飛び込んできている。もみくちゃになりながらやっと古葉竹識監督の胴上げに間に合った。

 3番に始まり、5番を経て4番に座ったのは6月19日。以来、優勝決定のこの日まで、その座を明け渡すことはなかった。プロ入り7年目、主軸として初めて味わう感激。グラウンドでマイクを向けられ、声に詰まった。

 「もう、ねえ…。みんなで、ねえ…。今はやったいうだけで…。あとでゆっくり喜びをかみしめます」

 途切れ途切れでここまで言って大泣きした。いつまでも解けない歓喜の輪に戻り、キヌ(衣笠祥雄)としっかり抱き合った。

 入団は4年違うが、同い年のライバル。それまで仲がいい方じゃなかったが、感激を共有して自然と体が引き寄せ合った。ともに28歳。中堅の域に達し、どうすればチームが強くなるか話し合える関係になった。

 もともと捕手で入団したキヌはカープに入団して一塁手に転向。開幕からわずか1カ月で退団したジョー・ルーツ監督の指示でこの年から三塁を守っていた。

 代わって一塁を守ったのがゲイル・ホプキンスだった。右翼手のリチャード・シェーンとともにルーツが連れてきた元大リーガー。3番に定着し、優勝を決めた巨人戦では1―0で迎えた9回にダメ押し3ランを放った。

 現役引退後にお医者さんになったホプキンス。練習の合間にロッカーで医学書を開いて勉強していた。みんなガチガチになっている中でのダメ押し弾。あの一発がなければ、すんなり勝てたかどうかわからない。

 東京・両国の宿舎、パールホテルで行われた祝勝会。シャンパンの乾杯に続いてビールかけ…。最高の気分。もう個人タイトルなんてどうでもいいと思った。

 だが、一夜明けると考えが変わった。獲れるものはやっぱり獲りたい。.319で広島から中日へ移籍した井上弘昭さんに1厘差をつけていた打率。雨で19日にずれ込んだ最終戦の直接対決(広島)はともにスタメンを外れた。

 私は代走で出場。あと1試合残している井上さんは3回無死満塁で代打で出てきたが、敬遠四球。もう勝敗は関係なかった。

 中日の最終戦の相手は阪神。親友のブチ(田淵幸一)は気を使ってマスクをかぶらなかった。1打数1安打、3打数2安打、4打数2安打でも逆転。しかし、井上さんは遊ゴロ、左翼線二塁打、三振ときて最後は死球…。9毛差で私の首位打者が確定した。

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