山本浩二監督「我が道」特別版

第9回 プロデビューは強肩でアピール

[ 2013年2月8日 06:00 ]

プロ1年目は守備でアピール

 契約金1000万円、年俸180万円。規定上限の条件で広島入団が決まった。背番号はいくつかあった空き番号から27を選んだ。

 大学時代の26より1つ大きい数字。2+7=9はカブだし、語呂もいい。好きな数字だった。

 1969年(昭44)2月1日、ワクワクして待った宮崎・日南キャンプイン。宿舎は昔ながらの日本旅館で新人の私は10人くらいの大部屋に入れられた。

 大学時代に松永怜一監督の特訓を体験している。練習量は多いと思わなかったが、精神的にはきつかった。10日ほどして発熱。「知恵熱じゃ」と言われた。

 法政の3年先輩、鎌田豊さんの入団時は藤井弘さん、大和田明さんといった重鎮がたっぷり打ち込むから打撃練習の順番が回ってこない。グラウンドではまともな練習ができず、外野後方の山に登って足腰を鍛えたという。

 私の1年目は恵まれていて野手は3つのグループに分かれ、時間は平等に振り分けられた。ただ、これがプロの世界なんだと思うことは随所にあった。

 まずは初の紅白戦。外木場(そとこば)義郎さんの初球、胸元にもの凄い真っすぐがきた。伸びが違う。度肝を抜かれた。

 走塁練習では大石弥太郎さんがわざと肩を入れてけん制球を投げてくる。「この人のけん制はセ・リーグNo.1」という先輩もいたが、なんのことはない。明らかなボーク。からかっているのだ。

 オープン戦の遠征になると新人は道具運びを命じられる。私はヘルメットの係だった。球場に着くと選手名簿を見て相手に法政の先輩がいたらあいさつに行く。これは欠かさなかった。

 初めての経験を積み重ねながらオープン戦は意外と調子がよかった。といっても打率.250から.280だったと思うが、根本陸夫監督は4月12日、開幕の中日戦(広島)から6番・センターで起用してくれた。

 緊張で眠れないまま迎えたプロ初打席。「背面投げ」で有名な下手投げの小川健太郎さんが相手だった。初球は空振り。最初から絶対振ろうと思っていた。2球目を左飛。スライダーだった。

 デビュー戦は3打数無安打1四球。初安打は翌13日、中日とのダブルヘッダー第1試合(同)の4回、プロ6打席目に田中勉さんから左前に打った。そんなにいい当たりじゃなかった。

 それより守備だ。この試合の7回1死一、三塁。木俣達彦さんの打球が右中間へ上がった。ライトの山本一義さんも捕球体勢に入っていたが、その前で捕り、振り向きざまに本塁へノーバウンド返球。タッチアップした三塁走者の江藤慎一さんを本塁の2、3メートル前でアウトにした。

 市民球場のスタンドがウワーッと沸いた。打撃より先に肩でアピール。カープの一員になったのを実感した。

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