山本浩二監督「我が道」特別版

第8回 1人希望かなった広島1位指名

[ 2013年2月7日 06:00 ]

広島入団が決まり根本監督(右)と握手。左は松田耕平オーナー代理

 運命のドラフト会議が開かれた1968年(昭43)11月12日。私は広島県佐伯郡(現広島市佐伯区)五日市町の実家でその瞬間を待った。新聞記者が何人か来ていたのを覚えている。

 ドラフトのテレビ中継がなかった時代。午後1時30分に電話が鳴った。こわばった表情で受話器を取った父・武のほおがみるみるうちに緩んでいく。すぐわかった。広島1位指名。最高の結果だった。

 4年生になってから意識し始めたプロ。もちろん意中の球団は樽(たる)募金の時代から応援してきた地元球団である。

 ただ、ドラフトがある。当時の制度はまず予備抽選でくじを引く順番を決め、本抽選で指名順位を決める。1番を引いた球団から順番に1人ずつ指名し、2位は12番の球団から折り返すというやり方だった。

 広島の他に阪神が1位で来ると聞いていた。カープなら万々歳。カープでなくてもセ・リーグなら入ろうと思った。だが、もしパ・リーグの球団に指名されたら…。
 社会人からも話があった。なかでも次兄・尚が勤める住友金属が熱心。私の気持ちを酌んで「セ・リーグならプロに行ってください。パならわが社へ…」とまで言ってくれていた。

 本抽選で決まった指名順位は東映(現日本ハム)、広島、阪神、南海(現ソフトバンク)…。1番の東映が亜細亜大学の大橋穣(ゆたか)を指名し、私の希望はかなった。

 だが、巨人を熱望していたブチ(田淵幸一)は阪神、阪神を希望していたトミ(富田勝)は南海、巨人から「田淵が獲れなかったら君を1位で指名する」と約束してもらっていたセン(星野仙一)は裏切られて中日…。願いがかなったのは私1人だった。もし2番の広島と3番の阪神の指名順位が逆だったらどうなっていただろうか。

 事前に聞いていた通り阪神が私を指名したとすれば「巨人以外は社会人」と公言していたブチは8番の巨人まで指名されなかったかもしれない。
 広島は私を指名できなかった場合は隣の岡山県出身のセンを指名するつもりだったらしい。

 すんなり進路が決まった私に対し、ブチやトミ、センは…。野球部の行事はすべて終わっていて彼らと会うことはなかった。

 今のように携帯電話やメールでいつでも連絡が取れる時代じゃない。彼らの動向は新聞で知るしかなかった。

 特にブチは連日新聞紙上をにぎわし、そのうち巨人との三角トレードまで報じられた。だが、最終的にはみんな入団。それぞれの球団で活躍したわけだから正しい選択だったと思う。

 「パなら住友金属」と思っていた私にしても、夢はプロ野球選手になること。どこに指名されても入ったような気がする。

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