山本浩二監督「我が道」特別版

第4回 法大入学~同期のブチを妬んだ

[ 2013年2月3日 06:00 ]

法大2年の時、セレクションから気が合ったトミ(富田勝・左)と

 東京五輪が開催された1964年(昭39)の12月、私は淡路島、兵庫県洲本市で行われた法政大学のセレクションを受けた。

 われこそはという高校生が全国から集まっている。海南の南口竣示、川井和己、浪商(現大体大浪商)の太田隆、夏全国制覇した高知の岡本道雄ら甲子園組もいて少し気後れした。

 印象に残っているのは小林郁夫だ。法政のジャンパーを着ているし、顔つきからしても先輩だと思っていたらブチ(田淵幸一)の法政一高(現法政大高)の同級生。私と同じ投手の受験生だった。

 投手と野手は打つ時間帯が違ってブチのバッティングは見なかったが、あの細くて長いのがキャッチャーかと思った。

 言葉が違うから東から来ているヤツは気取った感じがして合わない。自然と西の人間同士が集まった。

 広島商の桑原秀範や玉島商の池田周弘…。打撃練習では岡本がよく投げてくれた。コントロールが良くて打ちやすかった。

 意気投合して「帰りに大阪のオレの家に寄れや」と誘ってくれたのが興国のトミ(富田勝)だった。もう1人一緒に泊めてもらったヤツがいたような気がするが、誰だったかはっきりしない。

 年が明けて経営学部と経済学部を受験。合格通知はなぜか文学部英文学科から届いた。
 入学後に兄さんが4年生でマネジャーをしていた法政二高出身の堀場修に聞いたら、こんなふうに決まったらしい。

 学部ごとに野球部推薦の枠があって、この年から英文科が加わった。名前も聞いたことがない広島の廿日市高校。県立の普通科か?じゃあ、これでいいだろう。

 今ではありえないことだろうが、当時はそんな大らかな時代だった。かくして誕生した法政大学野球部始まって以来の英文科部員。進級しなければならないから一生懸命授業に出た。

 もちろん練習も休めない。1年生だけで70人くらいいて、ほとんど毎日、先輩相手の打撃投手。ボールだと打ってくれない。卒業後は阪急(現オリックス)に入る長池徳二(のちに徳士=あつし)さん、広島入りする鎌田豊さんら4年生を相手に毎日緊張して投げた。

 いきなり合宿所に入れたのは甲子園組と法政一高出身のブチと小林の8人ほど。私は芝浦工大4年生の次兄・尚と一緒に東京・目黒のアパートを借りて、そこから授業と練習に通った。

 リーグ戦が始まると神宮球場で切符切り。試合中はスタンドで応援した。そんな私たちを尻目にブチは1年春からベンチ入り。大事な慶応1回戦で8回に起死回生の同点2ランを放ち、優勝に結びつけた。

 凄いと思った。だが、同時に同期生としてのライバル心もある。正直言って妬(ねた)んだ。

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