山本浩二監督「我が道」特別版

第3回 鶴岡親分が練習見に来て大緊張

[ 2013年2月2日 06:00 ]

廿日市高3年生時の、夏の大会前(前列左から2番目が筆者)

 広島県立廿日市(はつかいち)高校ではすぐレギュラーになった。1年生夏の広島大会。14―1で7回コールド勝ちした1回戦の上下(じょうげ)戦は3番・一塁でスタメン出場し、途中から2番手として登板した。

 2回戦の宮原戦から先発マウンドに立ち、7―0で7回コールド勝ち。3回戦で強豪の呉港を2―1で下し、準々決勝に駒を進めた。呉商に0―2で敗れ、準決勝進出はならなかったが、大きな自信になった。

 2年生になって急に背が伸び始め、入学したときは1メートル70だった身長が1年で一気に10センチほど伸びた。ところが、2年生の夏は1回戦で海田(かいた)に2―8の完敗。四球連発で自滅した。今から思えば無理もない投球フォームだった。

 一度本塁から目を切って重い球を投げ込む巨人の城之内(じょうのうち)邦雄さんが新人ながら開幕投手に抜てきされ、いきなり24勝を挙げた翌年。辻幸夫監督に勧められるまま「エースのジョー」のまねをして墓穴を掘ったのだ。

 目標から目を離してちゃんと制球できるわけがない。最後の試合になった3年生の先輩に申し訳なく、たまらなかった。フォームは新チームの練習が始まるとき、監督と話し合って元に戻した。

 3年生になり、最後の夏の大会が始まる直前だった。「親分」こと南海(現ソフトバンク)の鶴岡一人(かずと)監督が練習を見に来られた。

 辻監督が鶴岡さんの広島商からの親友で、私設スカウトのようなことをされていた上原清二さんを知っていて、その線で福岡遠征の帰りに寄られたのだ。

 「来るかも分からん」と言われて「うそじゃろ」と思っていたが、プロ野球史上最多の通算1773勝を挙げることになる名将の目が実際にすぐそこで光っている。

 緊張したというもんじゃない。ブルペンでは何を投げたか分からないし、打つのも打撃投手が緊張して物凄く速い球を投げてくる。さっぱりだった。

 「プロに行くより大学に行った方がいいんじゃないか」

 それが鶴岡さんの私に対する評価だった。

 高校最後の夏は1回戦で尾道東を相手に7―0で7回コールドのノーヒットノーラン。2回戦の尾道北は4―0で3安打完封。3回戦からは夢の聖地、広島市民球場で試合ができた。

 3回戦は盈進(えいしん)を3―1、準々決勝では誠之館(せいしかん)を3―0で下した。だが、これが限界。準決勝では広陵に1―9で敗れた。

 情報が入らない時代。実際には広島の木庭(きにわ)教(さとし)スカウトから話があったらしいが、プロからの誘いは一切私の耳に入らなかった。

 親の希望もあり大学進学。法政一本に絞った。鶴岡さんの母校という線だったが、私の中では広島商から法政に進んだ山本一義さんのイメージが強かった。NHKで東京六大学の中継を見て同姓で同郷の一義さんにあこがれていた。

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