下柳剛のシモネタ発見

人の思いに誠実に 長くプレーできたのは他人の引き立てあってこそ

[ 2015年9月21日 05:30 ]

 スポニチアネックス読者のみなさん、いかがお過ごしですかな。1週間のご無沙汰です。どうも、下柳です。

 この原稿を書いている9月17日にはソフトバンクがぶっちぎりのリーグ優勝を飾りました。ホークスの後輩のみんな、本当におめでとう!

 一方のセ・リーグはもう、最後の最後まで展開が読めないよね。阪神で言えば18日からの12連戦をどう戦うのか。どうやら、藤浪がフル回転で中5、中4日あたりで登板し続けるみたいだけど、大いに期待したい。3年目を迎えて成長著しいことは、誰の目から見ても明らかやから。ここまで13勝。どんどん勝ち星を伸ばして10年ぶりのリーグ優勝、そして最多勝のタイトルも狙ってほしいよね。

 さて、今週は「人の思いに誠実であり続けること」というテーマで書いてみたい。藤浪について少し触れたけど、優勝争いのこの時期に何試合も先発を任せてもらえることは選手冥利に尽きると言っていい。

 オレは阪神を2011年に自由契約になったあと、かたくなに現役でプレーすることにこだわった。そして人づてに星野仙一監督の再会を果たし、翌12年は楽天でプレーさせてもらうことになった。春季キャンプ中に入団テストを受けて合格となったんやけど、なぜ40歳を過ぎたオレが楽天に呼んでもらえたのか、ということを考えた。阪神時代、星野さんはオレの練習をじっと見ていてくれた。プロの世界で飯を食っていくことは並大抵のことではない。そこには誰にも負けない強い思い、そして何よりキツイ練習に歯を食いしばり、徹底的に自己管理する姿勢がなくてはならない。星野さんはきっと、そういうオレの姿を楽天の選手たちに見せたかったのだろう。オレは、そう解釈して、楽天のユニホームに袖を通した。

 だから自主的に練習開始の1時間前には練習場に行き、ジョギング、ストレッチからこなしていった。全体練習が終わってからはウエートトレーニングにも精を出した。

 実を言うと、阪神時代の後半に膝を壊していたから、歩くことさえままならなかった。階段の上り下りもきつかったし、二階へ上がるにもエレベーターを使っていたほどだった。

 ただ、選手生活を続ける上で、自分の中で絶対に譲れない線はあってね。一塁ベースカバーに走っていけなくなってしまったら、もう試合には出るべきではない、と考えていた。だから、その動きができるうちは自分から「痛い」というつもりは一切なかったし、どれだけ痛かろうが平然と全力で投げ続けた。

 そういう感じやったから、今でも当時のチームメートは「シモさんは体が強い」と思っているはずや。膝に注射を打ちながらだましだまし投げていたんやけど、そこには娘への思いもあってね。生まれてから、まだ1勝もしてなかったから…。何とか娘にウイニングボールを渡してあげたい、という気持ちもあった。

 開幕ローテにも入って4試合先発させてもらったけど、残念ながら勝利を手にすることはなかった。そして、2軍へ。「精いっぱいあがいている姿を若手に見せる」という責務を果たせそうになかったことで、オレは意を決して監督室へと向かった。

 「もう、頑張れません。責任を果たせそうにありません。これ以上、追い込んでやることができないかもしれない…」

 不覚にも涙がこぼれてきてね。すると、星野監督も涙で声を詰まらせながら話してくれた。

 「シモ、そんな寂しいことを言うな。阪神ではお前らのおかげで優勝させてもらった。もう1回チャンスをやるから頑張ってこい」

 結局、その後、1軍へ戻ることはできなかったけど、ファームにいる間、オレは精いっぱいのことをやった。ハードなトレーニングもしたし、打撃投手もやった。なりふり構わず、おれはあがき続けた。

 なぜ、そこまで自分を追い込むことができたのか。それは自分の仕事に対して寄せられた期待に対し、できる限り誠実に応えようとしていたからや。長くプレーを続けられたのは、間違いなく他人の引き立てがあるんだよね。

 最後に。藤浪は「重圧はあるけど、重圧は嫌いじゃない」と話していたらしいね。さすがは春夏連覇を経験しているだけのことはある! ではみなさん、また来週。

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