下柳剛のシモネタ発見

オールスターの思い出 長嶋監督と記念撮影したのに…

[ 2015年7月27日 05:30 ]

 スポニチアネックス読者のみな様、ご機嫌いかがでしょうか? どうも~、下柳です。ようやくジメジメとしていた梅雨も終わり、本格的な夏の到来を感じますな。

 夏と言えば、やっぱり高校野球。我が母校・瓊浦は1、2回戦を突破したものの、3回戦で波佐見に敗れてしまいました。序盤に先制して何とか逃げ切りたいところやったけど、終盤に逆転されて。でも、3年生のみんなは、よう頑張ったんやないのかな。春先まではなかなかチーム力が上がってこんかったようやけど、今夏は良い戦いぶりやったと思う。負けた直後はほんまに悔しかったやろうけどね。自分の時を振り返っても、ようあれだけ泣けたな、と思えるほど、試合後は泣きじゃくったよ。

 もちろん、今でも甲子園でプレーしたかったという思いはあるけれど、高校の3年間をともに過ごした仲間は一生の仲間やからね。試合で打てなかったり、ミスしたことがあったとしても、それは時が経てば経つほど、最高の酒のさかなになる。俺らも仲間と集まっては、いっつも同じ話しをしてるからね。昔の思い出話を。瓊浦高校野球部の一員だったことに誇りを持って、今後の人生もこれまで以上に頑張ってほしいと思う。3年生は、お疲れさん!

 さて、今週はオールスターの思い出話しを少し書かせてもらおうかな。真っ先に思い出すのは、1997年かな。2度目の出場やけど、その年はイチローの連続無三振記録を止めた年やね。それも認められたのか、オリックス・仰木監督が選んでくれて。

 実を言うと、プレー以外のところで、ドキドキすることがあった。セ・リーグには、巨人・長嶋監督がいて。「こんなチャンス2度とあるか!」と言わんばかりに、オレは長嶋監督と記念写真を撮ってもらうことにした。ダイエー時代の同僚・田畑(当時ヤクルト)も球宴に出場していたから、田畑も一緒にね。長嶋さんは俺らはもちろん、オヤジの世代の人にとってもスーパースター。

 「この写真を長崎へ持って行ったら、オヤジも喜んでくれるわ」

 ワクワクしながら、写真の現像を待っとった。そしたら…。田畑が後日、この世の終わりか、というような暗い声で電話をかけてきた。

 「シモ、すまん。長嶋さんの写真、ネガなくしちゃった…」

 田畑は同学年でめちゃくちゃ仲が良かった(今でもね)けど、まあ、あん時は腹が立ったわ(笑)。

 試合の方ではその年から巨人へ移籍していた清原さんから三振を奪った。変化球で。そしたら、清原さんが「おいおい、真っすぐちゃうんか?」みたいな感じでこっちを見てきたけど、オレはとにかく打たれたくなかった。「何としても抑えたる」と気合満々で。

 なんたって交流戦のなかった時代やから、パ・リーグのテレビ中継なんてめったにない。それも、オールスターは全国ネットやからね。普段とはまた違ったテンションで、思い切り腕を振ったわ。

 初めて選んでもらったのは、1994年。プロ4年目やね。まさか選んでもらえるなんて思ってもみなかったから、ビックリした記憶があるよね。ただ、リリーフで前半戦だけで9勝しとったから、その辺りを評価してもらったんやと思う。

 で、オレが登板したのは今はなきナゴヤ球場。ちょっと話は逸れるけど、その試合、実は「You Tube」で閲覧できるんだよね。若いよ、ほんと。まだ、ひげも生やしていない時だから。巨人・松井、中日・大豊さんから三振を奪ったのかな。もちろん、真っすぐで。145キロは出ていたからね。

 というわけで、また来週会いましょう!

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