下柳剛のシモネタ発見

ソフトB・藤本コーチの思い出「その節はありがとうございました」

[ 2015年4月6日 05:30 ]

 スポニチアネックス読者のみなさん、1週間のご無沙汰です。どうも、下柳です。阪神、そして2年連続で下柳イチ押しのDeNAとも、まずまずのスタートを切りましたな。今週火曜日の7日からは、いよいよその両者が甲子園球場で直接対決。オレ的にはいろんな思いを抱きながら、見ておきます。

 さて、今週はソフトバンクの藤本博史2軍打撃コーチとの思い出話をいろいろ書かせてもらうことにしますわ。オレがダイエー在籍時に、本当にお世話になってね。もちろん、今でも可愛がってもらっているし、昨年の日本シリーズは複雑な思いで解説しとったよ。阪神の投手陣には頑張ってほしい。でも、あまりにも抑えてしまったら、藤本さん(当時1軍打撃コーチ)も困るし…という感じで。

 博史さんはオレより5歳年上でね。まあ、とにかく、すごく優しい人。当時はバリバリのスラッガーで三塁を主に守っていた。二塁に入ることもあったけどね。一応、初めに笑い話を書いておくと、オレが知る限り、12球団一守備範囲が狭かったんやないかな。言い換えると、日本一、動かない(笑)。だから、オレは博史さんのとこへ打たさんように必死で投げとったよ。

 ただね、ひとたび捕球したら、絶対にアウトにしてくれとった。逆にスローイングは日本トップクラスの正確さがあったんちゃうかな(笑)。根本監督は攻撃野球というスタイルやったから、その象徴的な存在やったんやないのかな。

 冒頭でお世話になったと書いたけれど、交通事故直後は特に助けてもらったよ。その事故は民家の壁に激突して起こったんやけど、その民家がなんと博史さんの知り合いの方のお家やった。だから、事故の時もいの一番にすっ飛んできてれくて。実況見分でその場にいた警察の方は、博史さんがオレの親父と勘違いしたらしい。確かに、老け顔やったからね。

 で、民家の方はもちろん、博史さんにも迷惑をかけたはずなんやけど、オレが退院して、1軍復帰を果たしてからもよく面倒を見てくれてね。なんせ、オレは車の運転を球団から禁じられていたからね。家から福岡ドーム(当時)までの道のりを、なんと博史さんが送り迎えしてくれとった。

 博史さんの家から見て、オレの家が福岡ドームまでの通り道やったこともあるんやけど、オレはある道路まで出て博史さんを待つ。そしたら、それを博史さんが拾ってくれて。帰りは帰りで、同じように途中で下ろしてもらう。もしくは、ドームからそのまま飯へ行ったり、飲みに連れて行ってもらったり。自宅へ招待してもらったことも一度や二度ではなかった。だから、すっかり奥さんとも仲良くなって。

 もちろん、ユニホームを着ているときも、よくしてもらった。オレが投げているときは絶妙のタイミングで、三塁から声をかけにきてくれる。

 あるロッテ戦でオレがメル・ホールに四球を出したことがあってね。読者のみなさんは、覚えているかな。あの左打ちの強打者で、当時は2億円超えの年俸でも話題になった。ちょっと話しが逸れたけど、四球になった最後のボールが抜けて、頭へ近いところへ行ってしまった。そしたら、ホールが結構切れちゃってね。わめき散らしながら、一塁へ歩いていった。

 ちょうど、その時、博史さんは一塁を守っててね。オレもホールに切れられてイライラしとったら、博史さんが笑いながらオレのとこへやってきた。

 「おい、シモ。キル・ヒム、キル・ヒムって言うとるぞ」

 その言い方がなんか面白くて。博史さんに和ませてもらったおかげで、次のバッターに集中できたよ。博史さん、その節は、いろいろとありがとうございました!

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