下柳剛のシモネタ発見

03年 横浜移籍で固まっていたオレをカネが“慰留”してくれた

[ 2014年11月10日 05:30 ]

2008年、お立ち台で笑顔の下柳氏(左)と金本氏
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 どうも~。1週間のごぶさたです。下柳です。スポニチアネックス読者のみな様は、いかがお過ごしでしょうか?

 プロ野球のシーズンもこの前開幕したと思ったら、もう終了。毎年のことやけど、終わって見れば、本当にあっという間やね。

 でも、選手時代は、苦しい練習の日々やったから、やっぱり長く感じるよね。先発投手なんて基本的に1週間に1回の登板やから、ちょっと勝てなくなると、まあ~長く感じてしまう。もう、これが1、2カ月勝利から遠ざかると、本当に参ってしまう。球場への運転ルートを変えたり、いろんなことを試みるんやけどね(笑)。

 さて、今週もカネ(金本知憲)のことを書かせてもらいます。

 カネで思い出すのは、2003年オフのことかな。オレはFA権を取得。阪神に移籍してきてまだ1年やったけど、優勝もしたし、ラガーも東京の知人に預かってもらっとった。

 そんなこともあって、オレの中では熱心に声をかけてくれていた横浜(当時)へFA移籍する思いが固まりつつあった。実際に向こうでマンションの契約も交わしたし、代理人と相談して移籍用のコメントまで用意しとったからね。

 でも、そんな時、カネは「残留して、一緒にやろう」と慰留してくれた。時には、うま~いこと、関西のスポーツ新聞も利用して。

 「シモよ、阪神残留してくれたら、オレが高級ドッグフードをプレゼントしてやる!」

 そんな見出しがデカデカと踊ったこともあって。あれには、思わず笑ったよ。

 他にもいろんな思い出があるけれど、懐かしいものとしてはオレの入団2年目。当時、オレはダイエーで、カネは広島。つまり、ウエスタン・リーグでの試合やったんやけど、レフトへ特大のホームランを打たれてしまった。

 「ああ、広島に凄いバッターがおるんやな」

 調べてみると、1992年5月22日。球場はカープ2軍の本拠地・由宇やったね。あとは優勝した2003年のビールかけ…。カネと2人して、藤本敦士(現阪神2軍内野守備走塁コーチ)を散々いじめて。

 そういえばカネが引退する時の特別企画で、下柳―矢野のバッテリーVS金本の架空対決を想像したことがあった。もしも真剣勝負をするなら、どう封じ、どう打ち返すのか…みたいな。ちょっと、再現してみよう。

 金本 「シュートでカウントを稼いで、フォーク、スライダーで空振りを取りたいのか。引っかけさせたいのか。変化球、変化球と行って、最後のシュートでガチッと詰まらせたいのか」

 下柳 「カネ、真剣勝負するなら、右肘のプロテクター外してから勝負やぞ、と(笑)。カネからは外角だけでアウトを取れるわけがない。シュートの使い方がカギになるやろう」

 金本 「捕手が矢野ならオレは手に取るように分かるよ。矢野は攻めのキャッチャー。シュートでカウントを稼いで、フォーク、スライダーで行き詰まる。オレも相当に粘るから。でも、矢野は最後はシュートで打ち取りたいはずや」

 矢野 「そうなるよね。シュートを狙ってくるのをどう打たせるか。インコースしかない。結果球でぐしゃっと詰まらせるような。よほど裏をかくなら追い込んで、外の真っすぐもある。でも、死球で乱闘になって、最後はオレが“まあまあ、2人とも”と止めにいくんちゃうかな(笑)」

 こんなん書いてたら、ほんまに真剣勝負したくなってきたな。そのときは、オレが抑えさせていただきます!

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