下柳剛のシモネタ発見

「あっちゃん」と感じた深い縁 でもそれぞれの送別会は…

[ 2014年10月6日 05:30 ]

07年、野球談義に花を咲かす下柳氏(左)と片岡氏
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 どうも~。スポニチアネックス読者のみな様、いかがお過ごしでしょうか? 下柳です。

 1日を持って、阪神の全日程144試合が終了。なんか月日が経つのは早いというか、あっという間ですな。11日からはクライマックスシリーズ・ファーストステージが開幕。とにかく、一つでも上のステージへ進めるよう、みんなには頑張ってほしいよね。

 さて、今週は日本ハム、阪神の同僚で、現在はプロ野球解説者、ならびに芦屋大客員教授も務める片岡篤史君のことを書かせてもらいます…。となんだか堅苦しいので、ここから先は親しみを込めて、いつも通りの「あっちゃん」とさせていただきます。

 やっぱり、あっちゃんの人柄を端的に表すなら、「男気」の2文字やろうね。今でも思い出すのは、日本ハムで選手会長を務めていたとき。確か、常陸那珂への移動ゲームやったんやけど、ホテルで手配していたはずの昼食が、なんだかんだの理由で遅れてしまった。

 その後に試合を控えている選手たちのことを考えたあっちゃんが、それに怒ってね。ホテルの従業員の方々に訴えかけていたのを覚えてる。正義感だよね。

 選手会長時代の話しで言えば、やっぱり先輩に対してもすごく気配りのできる男やった。オレの方が1つ年上。で、ハムの時は毎年、選手会納会でゴルフをしていたんやけど、すごく気を遣ってくれていた。

 「先輩、ゴルフが終わってからはゆっくり温泉にでも浸かっておいてください。そのために、早めの組にしておきましたので」

 オレはオレで「あっちゃん、わりーな!」なんて上機嫌やねんけど、何とその年は寝坊して遅刻…。

 「先輩、次は頼みますよ!」

 その時はあっちゃんも笑って許してくれていたんやけど、次の年にもう1回遅刻して…。

 「先輩、ええ加減にしてくださいよ!」

 その時も笑って許してくれたけど、さすがに次の年は事前の打ち合わせもなく、きっちり最終組に入れてくれとったわ(笑)。

 プレーヤーとしては、たとえ打てない時があったとしても、攻守の気持ちの切り替えが抜群に上手かったよね。西武戦やったかな。その試合は打線全体が完全に沈黙してね。みんなの雰囲気もやっぱり沈みがちやった。でも、そんな時でも、あっちゃんは守備で盛り上げてくれる。三塁線に飛んだ強烈なゴロをダイビングキャッチ! 完ぺきな一塁へのストライク送球で、アウトにしてくれたことがあったなぁ。

 というか、長いことあっちゃんと同じチームでやっとったけど、悪送球をしたのは見たことがない。さすがPL学園というかね。何でも高1のときは清原さん専属の打撃投手を任されていたらしいね。そりゃ、2学年上の、ましてや高校生No.1スラッガー相手に投げるんやから、重圧は半端なかったやろう。おそらく、そこで、正確無比なスローイング技術を身につけたんだね。

 だから、投手陣の信頼も厚かったよ。岩本勉をはじめ若いピッチャーもみ~んな、あっちゃんを慕っとった。投手、野手の垣根なく、よう飯にも連れていっとったし。

 だからやろうね。あっちゃんが2001年オフ、阪神へのFA移籍を決断してからの送別会は、それはもう凄かった。主力はもちろん、若手もたくさん集まってね。最後はその場にいたみんな、涙を流していた。

 不思議なもので、翌年のオフには阪神へのトレードで、今度はオレの送別会が開かれた。そしたら…。お店の人が気を利かして、可愛い女の子の友達を呼んでくれたこともあったんやけど、まあみんなニヤニヤしとる。誰1人として、涙を流しとらん! あっちゃんの時とはえらい違いというか、そのギャップに思わず笑ったよ。

 でも、わずか1年で、再び阪神のチームメートになるんやから、縁を感じるよね。あるときは、ワコール塚本能交代表取締役に直談判して、2人で男性用下着の広告に起用してもらったこともあった。

 だから、あっちゃんが2006年に現役引退を決意したときはすごく寂しかったよね。引退試合の中日戦で2安打した場面は、オレの中で強烈な思い出として刻みこまれている。あそこで結果が出るということは努力もしてきたし、徳も積んでいたんだろうと思う。野球の神様は絶対にいるんだよ。

 え? お酒の強さ? それは、正直、五分五分だよ。やっぱり、先に酔ったもん勝ちというかね。もう片方が酔っちゃうと、こっちはそこまで酔えない。いつも、そんな感じで飲んでるよ。

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