下柳剛のシモネタ発見

器が大きかった“根本の親父” 今でも感謝の気持ちでいっぱい…

[ 2014年9月23日 05:30 ]

下柳の恩人、故・根本陸夫氏
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 スポニチアネックス読者のみなさま、どうも~下柳です。

 1週間のごぶさたですが、相変わらず阪神は一進一退の戦いが続いていますな。優勝は厳しい数字になってしまったけれど、選手たちは一つでも順位を上げることをモチベーションに戦う日々。25日のDeNA戦は、オレも横浜で解説させてもらいます。

 さて、今回は「球界の寝業師」こと、根本陸夫さんについて書かせてもらいますわ。

 根本さんが亡くなってもう15年になるのか。本当に時が経つのは早い。当時、オレは日本ハム。急死だったからね。オレにとっての恩人だからすごくショックだったけど、死に顔を見られたことは良かった。いまだに、あの人に対しては足を向けて寝られないよ。

 初めて出会ったのは、オレが新日鉄君津に在籍していた頃だった。当時は西武の編成部長を務めておられたから、君津のグラウンドまで来られることもあった。投手理論とか、いろいろ聞かせてもらってね。

 ちょうど、社会人3年目。いよいよドラフト解禁となる年に、根本さんから声をかけられた。

 「もう1年社会人でやって、来年西武へ来い」

 プロ入りするために死にものぐるいだった当時のオレにとって、とても励みになる言葉だった。でも、ふたを開けてみれば、結局、その年のドラフトでダイエーに指名してもらった。会社にまだ十分な恩返しができていないこともあって、最初は行く気もなかったんやけど…。悩みに悩んだ末、ダイエーに決めたのはみなさんもご存じの通りやね。

 そしたら、運命のいたずらというか、何と言うか、オレがプロ3年目の1993年から、何と根本さんがダイエーの監督に就任された。

 「これはヤバイぞ」

 オレがそう思うのも無理はないよね。だって、オレは根本さんの言うこと聞かずにプロ入りしてもうたんやから。確実に怒られると思ったよ。そしたら…。

 「おう、シモ、またよろしくな」

 なんて器の大きい人だ!と思ったよ。それどころか、

 「おい、しっかり投げ込みしておけよ」

 って。ここまで言われて意気に感じん選手はおらんやろう。

 そんないきさつもあって、ある時、根本さんからこう聞かれた。

 「おい、何もせずにクビになって長崎へ帰るのと、やるだけやって壊れて帰るのどっちがいい?」

 もちろん、オレの性格だから、後者の方を選ぶわな。そんなこともお見通しだったと思う。オレのやる気をより一層、引き出すための言葉やったんやろう。

 それからや。オレが試合前練習でバッティングピッチャーをして、そのまま試合に臨むするようになったのは。今の時代では考えられん、練習方法やけどな。とにかく、来る日も来る日もオレは投げまくった。痛い、痒いなんて言う気もない。そこでの猛練習が、後々のオレのプロ野球人生を支えてくれたのは間違いないよね。

 先にも書いたけど、根本さん、いや根本の親父には今でも感謝の気持ちでいっぱいなんだよ。まだまだ話しは尽きないから、次週も親父のことを書かせてもらいます。

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