下柳剛のシモネタ発見

受け入れられないラブちゃんの死 亡き伊良部秀輝氏との思い出

[ 2014年8月18日 05:30 ]

 暑い日が続いておりますが、スポニチアネックス読者の皆様いかがお過ごしでしょうか? どうも、下柳です。

 阪神は8月に入ってから一進一退の状態ですな。勝ったり負けたりでここが踏ん張り所。9月にラストスパートをかけるためにも、ここからが大事。京セラドームである20、21日の中日戦はオレも解説に行くので、楽しみだね。

 さて、今週からは伊良部秀輝の話を書かせてもらいますわ。

 オレは伊良部のことをラブちゃんと呼んでいたんや。亡くなってから、もう3年が経つんやな。今年に入ってから自伝が発売されて、その取材も受けた。

 「球童 伊良部秀輝伝」。ハードカバーの立派な本で、手元にもあるんやけどね。なかなか、読む気にはなれない。心のどこかに、ラブちゃんの死を受け入れられない自分がおるんやろう。

 何と言うのかな。オレにとって、あんなに人なつっこい後輩はおらんかった。いや、後輩というより、むしろ弟と言ったほうがしっくり来る。でっかい弟じゃないけれど、ほんまに可愛いやつやった。

 ラブちゃんの訃報が飛び込んできたのは、ファームでの先発前日やった。知人から電話がかかってきてね。

 「信じたくないけど、伊良部が亡くなったかもしれん」

 信じるも何も、ほんまに突然すぎたからな。その夜は一睡もせずに、知人からの続報を待っていた。何かの間違いであってほしいと祈ってたんやけどな…。その願いは叶わんかった。

 日本だけやなく、アメリカ球界にも大きな衝撃を与えた死やった。ラブちゃんが在籍していたヤンキースでも、試合前にナインが黙祷を捧げていたよな。ニュースの中で女房役やったジョー・ジラルディが「イラブには子供がいるのに、とても悲しすぎる。旧友を失うのは何よりも辛いことだ」と語っていたのを、鮮明に覚えている。

 辛い思いを持ったのは、もちろん、阪神ナインも同じやった。7月30日に甲子園で行われた横浜ベイスターズ戦(当時)の試合前に黙祷。ユニフォームに喪章をつけて、懸命に戦った。球場のスコアボードにある大型ビジョンには、往年の雄姿が映し出されていたらしいね。

 あれは亡くなる前年やったかな。米ロサンゼルス郊外で、飲酒運転の疑いで逮捕されたことがあった。そしたら、すぐに国際電話がかかってきてね。オレはこう言って、しかり飛ばしたよ。

 「バカヤロー。何やってんだ。日本球界へ帰って来づらくなるやろう。お前は野球界のために、これから頑張らないといけない人間なんだよ!」

 そのときもラブちゃんは素直に聞いとったよ。いつだってそう。オレの言うことには、ほんまに素直に耳を傾けてくれとった。

 確か、亡くなる1月前にも、電話がかかっていたときがあった。電話があるときは、大抵が酔っぱらったとき。最後の電話も、やっぱり酔っていたよ。

 やっぱり、寂しくなるんやろな。ほんまに繊細な男やったから。マスコミで報じられていた伊良部像とは、180度違う。野球に対して真摯やったし、純粋な男やった。だからこそ、いろいろと苦しいことがあったんやろうな。近くにいてやれたら…とは、今でも思うよね。

 2013年春。オレはアメリカへトライアウトを受けにいった。テストを受ける前、オレはラブちゃんの自宅へ向かった。家には入ることができないから、玄関の前で手を合わせてね。

 「ラブちゃん、寂しかったらオレに着いてこい。今からグラウンドへ行くぞ!」

 来週も、ラブちゃんとの思い出を、いろいろ紹介させてもらいます。

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