下柳剛のシモネタ発見

志半ばで天国へ…砲丸投げパイオニア 森千夏さんを語り継ぎたい

[ 2014年8月11日 05:30 ]

 どうも~。下柳です。スポニチアネックス読者のみなさん、いかがお過ごしでしょうか? 

 プロ野球のペナントレースが終盤戦にさしかかってきただけでなく、夏の甲子園も始まって、野球ファンの方にとってはたまらない季節ですな。我らが地元の長崎代表は名門・海星。阪神・平田2軍監督の母校というのは有名やけど、なんでも監督は新井兄ちゃんの広島工時代の先輩らしいね。野球界は狭いというか、やっぱりいろんなところで繋がってるわ。

 さて、今回のコラムは日本女子砲丸投げ、アテネ五輪代表選手・森千夏さんについて書かせてもらうことにしますわ。

 実は先日9日は、森さんの命日でね。2006年8月9日午前10時36分。虫垂がんのため、26歳という若さで天国へと旅立たれた。

 オレが訃報を聞いたのは横浜への遠征中。亡くなられた直後、記者からも取材を受けたけど、どう言葉にすれば良いのか分からなくてね。球団の広報を通じて「非常に残念です。ご冥福をお祈りします」というコメントを出させてもらった。

 東京でラガーの世話をしてくれていた方の娘さんと、森さんが東京高校陸上部の先輩・後輩という間柄でね。そういう縁があったから、オレも交流を持たせてもらうことになった。

 砲丸投げの選手やからね。やっぱり、一般の女の子と比べれば力もある。ラガーを楽々とお姫様抱っこしてくれたんや。これは後にも先にも、森さんただ一人。ラガーもビックリしてたやろな。

 森さんはアテネ直前から腹部の痛みを訴え、05年に「虫垂がん」と診断された。その年の4月には病名を公表してね。母校の東京高を中心に募金活動も行われていた。なにせ、症例が非常に少ない病気やったから。オレのホームページも通じて、募金を呼びかけさせてもらったこともあった。

 女子砲丸投げという種目にあって、パイオニア的な存在やった。東京高時代に頭角を現し、3年時にインターハイを制覇して。国士大2年の2000年4月には、16メートル43の日本新記録を樹立するまでになった。

 そこから04年4月18日の18メートル22まで計9回の日本新を樹立した、正真正銘の第一人者やった。同年のアテネ五輪には1964年東京五輪以来、日本人女子として40年ぶりに出場。だけど、アテネ出発直前には下腹部に痛みを訴えていたみたいで、現地ではほとんど練習もできない状態やったらしい。不完全燃焼のまま、予選落ちとなってしまったんや。

 でもね。同じアスリートとして今、思うのはオリンピックに出場するということが、いかに凄いかということ。ましてや、それまではなかなか世界との差が埋まらなかった種目。そこを自らの努力で切り開いたということに、オレは尊敬の念を抱いてきた。

 だからこそ、森さんの死は残念でならなかった。志半ばでね…。葬儀には1500人もの人が参列したという。アスリートというだけではなく、森さんの人柄がそれだけ素晴らしかったというのがよく分かる。

 森さんが亡くなられたあとも、オレは自分のホームページで「森千夏を応援する会」というサイトをずっと掲載させてもらっている。一つには、いまだに「虫垂がん」が症例の少ない難病であるという事実があるし、もう一つ、というか、こちらの方が思いとしては大きいんやけど、「森千夏」という日本を代表するアスリートがいたという事実を一人でも多くの方に知ってほしいというかね。それが残されたオレたちにできることじゃないのかな、と思う。

 本当は亡くなられてすぐに登板した06年8月11日の中日戦で勝ちたかったんやけどね。4回3失点。5回のオレの打席でチャンスだったこともあって、代打を送られたのを思い出すよ。

 最後に。現地時間の6日に右肘靱帯再建手術からの復活を目指す球児が、1回を無安打無失点に抑えた。昨年5月26日以来、実に437日ぶりとなるメジャーのマウンドやった。長く険しいリハビリを乗り越えての、復活登板。映像を見て、正直、ホッとしたよ。球児とのいろんな話しは、また機会を改めてジックリ書かせてもらいます。

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