下柳剛のシモネタ発見

WBC代表誘ってくれた王さん なんとスケールの大きな人なんだ

[ 2014年7月29日 05:30 ]

 スポニチアネックス読者のみなさま、ごぶさたしております。どうも、下柳です。

 先週の当欄で母校・瓊浦が長崎県大会で初戦突破したことをお伝えしました。しかも、強豪・佐世保実に勝ったと。でも、続く3回戦で小浜に0―1で敗戦…。母校が甲子園に出てこられんのは残念やけど、でも、3年生のみんなはどうもお疲れさん! 今は悔しい思いの方が強いやろうけど、仲間と過ごした3年間は一生の財産。次のステージへ向けて、また頑張ってほしいよね。

 さて、本日は王さんとのことを書かせてもらうことにしますわ。

 1995年に王さんがダイエーの監督に就任されたんやけど、当時のオレは若気の至りというかまだまだとんがっていてね。いま、思い出してみても、随分と反抗的な態度を取っていたように思う。コミュニケーションも取ろうとしていなかったし。

 で、その年もいろんなことがあって、最終的にはオフに日本ハムへトレードへ出されることになった。今でこそ書けることやけど、トレードに出された監督に当たるわけやから、もう王さんの顔も見とうない! そんな感情は日本ハムの間も、阪神へ移籍してからもず~っとオレの中で消えんかった。

 でも、人生は何が起こるか分からない。阪神へ移籍して3年目だった2005年のシーズン。ここでも何度か書かせてもらったけど、15勝を挙げ史上最年長で最多勝のタイトルを獲得することができた。

 シーズンが終わってから、オレはプロ野球コンベンションに出席するため、札幌ドームにおった。王さんも同じくコンベンションに出席するため、来られていてね。表彰式が始まると、王さんがオレのところへ来られてこうおっしゃった。

 「シモ、来年のWBCに来てくれんか」

 読者のみなさんもご存じのように、王さんは第1回WBCで日本代表の監督を務めることが決まっていた。その日本代表監督の立場から、オレに声をかけてくださっている。光栄なこととはいえ、やっぱり、オレも戸惑ったよ。

 05年、阪神はリーグ優勝を果たしたとはいえ、日本シリーズではロッテ相手に4連敗という屈辱的な終わり方をしていた。その分、やっぱり、06年シーズンにかける思いは強かったしね。

 もしも、WBCへ行くとなると、調整法が随分と変わってしまう。チームのことを考えると、どうしてもね…。

 それに「JAPAN」のユニホーム、つまり日の丸を背負うことの怖さもあった。「果たして、オレは大丈夫なんだろうか?」。そんないろんな思いが渦巻いてきて、最後は王さんに丁重に辞退を申し出た。

 でもなぁ。今だから思うことやけど、やっぱりチャレンジしてみても良かったのかなぁとも思う。だって、世界一になったんやもん(笑)。その瞬間、テレビで見ていたけど、自分のことのように興奮したよね。

 実は社会人の新日鉄君津時代にもオリンピックの日本代表候補に選ばれたこともあった。でも、当時のオレはプロ1本。不思議なほどオリンピックへの憧れもなかったから、日本代表の関係者の人に「プロへ行きます」と伝えた。そしたら、速攻、候補から外されたけどね(笑)。

 ちょっと話は逸れたけど、WBCが終わってからダイエーとのオープン戦があった。王さんのもとへ挨拶に行ったら「シモ、世界一になれたよ!」と握手を求められてね。

 その時に改めて、思ったよね。

 「王さんという人は、なんとスケールの大きな人なんだ」ってね。

 オレやったら、自分がトレードで出したような選手はまず、そんなところへ呼ばない。でも、王さんはそんなことは関係なく、日本代表のため、勝利のために、オレに声をかけてくれた。本当に、ありがたいことやと思うよね。

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