下柳剛のシモネタ発見

「ええヤツ…」現役のまま亡くなった藤井将雄の思い出

[ 2014年6月30日 05:30 ]

99年10月28日、日本シリーズ第5戦で登板する藤井将雄投手
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 スポニチアネックス読者の皆さん、ご機嫌いかがですか~?どうも、下柳です。沖縄では梅雨が明けたようですが、まだまだスカッとしない天気が続きますね。

 さて、今週は現役のまま亡くなったダイエー・藤井将雄(享年31)との思い出について、書かせてもらいますわ。

 将雄とオレは同じ昭和43年生まれでね。将雄は1995年にダイエーへ入団したから、一緒のチームでやったのは1年間だけやった。

 普段は真面目なヤツやけど、酒を飲んだら陽気で面白い。もちろん、一緒に飲みに行ったこともある。たまたま日本ハムの田中幸雄さん(現日本ハム2軍打撃コーチ)と飲んだときのこと。あいつが珍しく酔っぱらって、年上の幸雄さんに「田中~、かかってこい!」と絡んだことも今では懐かしいね。

 練習も一生懸命するし、性格もええから、誰からも信頼されていて、先輩、後輩からの人望も厚かったよ。でも、入団当初は1、2軍を行ったり来たり。それがプロ4年目の98年にブレークすると、翌99年は中継ぎで59試合に登板し優勝に貢献するまでになった。コントロールが抜群で、スライダーの出し入れで勝負するタイプ。気持ちも強かったしね。

 病魔に冒されたのは、その99年やった。シーズン途中から、やたらせき込むことがあったみたいでね。オレも当初は「肺炎」と聞いていたんやけど、あるとき、「どうも重病のようだ」ということを聞いた。

 2000年に入ってからは入退院を繰り返していたのかな。それでも練習は続けていたし、実際に2軍で6試合も登板している。体はもうめちゃくちゃしんどかったはずやから、不屈の精神力には本当に頭が下がる。

 今でもすごく悔やまれるのは、シーズン中だったこともあって、一度もお見舞いに行くことがかなわなかった。

 「オフになったら、将雄に会いにいこう」

 そう考えている間に、訃報が飛び込んできた。なんにも悪いこともしとらんのに…。

 「なんで、あんなええヤツが…」

 ほんまにショックで、ショックで。しばらく、言葉にならんかった。将雄の故郷・佐賀県唐津市内の斎場であった告別式には参列させてもらった。王貞治監督(当時)をはじめ、仲が良かった若田部健一らダイエーの選手たち、みんなが涙を流していた。

 最後は…将雄の顔を見ることはなかったのかな。どこかで、亡くなったという現実を受け入れたくない自分が、いたのかもしれん。その10月16日は、生きていれば、ちょうど将雄の32歳となる誕生日やった。

 形見として、後日、将雄が着ていたTシャツをもらった。当時、オレは日本ハムにいて。阪神へ移籍するまでは、ずっとロッカーにそのシャツを飾っていた。

 阪神へ持っていかなかったのは、オレがいつまでも持っていると将雄も成仏できないだろう、と考えたから。でも、阪神へ移籍してからも、将雄の存在はオレにとって大きなものやったよ。

 将雄の死後、ヤフードームの15番通路は「藤井ゲート」と命名された。将雄が15番をつけていたからね。記念プレートが設置され、生前最後のメッセージも飾られているんや。

 交流戦やオープン戦でヤフーへと行くたびに、オレはその15番ゲートへ足を運び、手を合わせていた。そこへ行けば、将雄がいるような気がしてね。

 特に、現役の晩年は調子がなかなか上がらず「もう辞めよう」ということが何度もあった。でも、そういうとき、15番ゲートへ行くと…。そのたびに野球をやれている幸せ、生きていることの尊さを気付かされる。

 「将雄、ごめんな」

 将雄は野球が好きで、好きでたまらなかったのに、志半ばで逝ってしまった。それなのに、オレがこんな気持ちになってどうする…。もちろん、将雄が返事してくれるわけやないんやけどね。でも、不思議とそこへ行くと、気持ち新たに、グラウンドへ向かうことができた。

 その藤井ゲートからも分かるように、ダイエーも本当に良い球団でね。99年シーズン途中に体調を崩し、検査の結果、球団は「末期の肺がん」であることを把握していたらしい。でも、その年の活躍分はもちろん、闘病の励みになるようにと、給料をアップしたんや。来年、投げられるかどうか分からない選手に対し、そう簡単にできることやない。その話を聞いたときは、なんかジーンときたよね。

  ※ ※ ※ ※

 では、最後に先週に続いて下柳からみなさんへお知らせです。私、このたび、株式会社・水王舎さんから初の書き下ろし「ボディブレイン」を出版することになりました。7月2日発売ですわ。

 「ボディ・ブレイン」とは簡単に書けば、全身の感覚を研ぎ澄まし、身体の声に耳を傾けることで、頭では知覚できない微細な「きざし」をとらえられる、というもの。日本ハムからトレードに出され、わずか3年で最年長最多勝を獲得できた裏にゾーン、座禅、イメージトレーニングなどがあった。単なる精神論ではなく、人生を変えることができた究極の学び方を、紹介させてもらったというわけです。

 ぜひ、皆さん、良かったら、一度、読んでみてくださ~い!

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