下柳剛のシモネタ発見

狙って止めたイチローの無三振記録「そら、うれしいに決まっとる」

[ 2014年5月19日 05:30 ]

 みなさん、いかがお過ごしでしょうか? どうも、下柳です。前回の当欄では中継ぎで147イニングを投じた1997年について振り返りましたな。で、今回はその年、注目を集めていたイチローの三振ストップについて、書かせてもらうことにしますわ。

 6月25日のオリックス戦(東京ドーム)やった。4回、2死二塁。オレは2回途中からリリーフしとったんやけど。

 そのイチローは、阪神・藤田平さんが持っていた208打席連続無三振の記録を前日の24日に更新したんかな。しかも、試合当日には原野和夫パ・リーグ会長が特別表彰を決める、なんてこともあったらしいね。

 イチローに対しては、それほど苦手意識もなかったよ。スポニチさんの記録で調べてもらったら、三振を止める前までの対戦は31打数10安打の打率・323やったとか。で、オレがイチローから奪った三振は二つ。決して多くはないわな。

 ということで、打席の詳細を振り返りますか。

 初球に投げたスライダー以外、イチローはすべてバットを振ってきた。首尾よく追い込んで、0ボール2ストライクからの4球目。ストライクからボールになる129キロのスライダーを、際どいところへ投げ込んだ。でも、イチローはカットしてファウルにした。その時は「普通なら空振りやろ。さすが」と思ったよね。

 とはいうものの、追い込んでるし、三振記録も知っとったからオレも本気で三振を取りにいった。ここから、どうするか。5球目、捕手の山下和彦さんからのサインはインコース低めのストレートやった。

 ボールの軌道は、今でもはっきり覚えとるよ。真ん中からやや沈むような感じでね。イチローの頭にはなかったのか、空振りとなった。

 何でも無三振の間、イチローが2ストライクに追い込まれたのは66打席あったらしい。その結果は何と58打数29安打7四死球1犠飛の打率5割。簡単に打ち取れないどころか、2本に1本はヒットなんやから。そら、当時のパ・リーグのピッチャーはみんな苦労しとった。しかも、その216打席のうちで、空振りしたのはたったの8回。オレからの9度目の空振りで、記録が止まった。

 やっぱり三振の瞬間は、何とも言えないため息と歓声が入り交じっていたわな。オレ? 試合中やし、もちろん、無表情のままやったよ。でも、内心は…。そら、うれしいに決まっとる。狙ってとった三振なんやから。

 試合後には、当然、たくさんの記者に囲まれた。日ハム時代にあれだけたくさんの記者が来たのは、初めてやないか。

 当時の記事でオレのコメントを読み返してみると…。

 「オレが盛り上げたわけじゃないし、三振もたまたまッスよ。内野ゴロになってくれればという思いでした。投げる瞬間に指が引っ掛かって、変な球になりました」

 やっぱり、本音は語っとらんなぁ(笑)。実は裏話があってね。あのボールは真っすぐやない。試合で初めて投げた、シュートやった。ひそかに練習していてね。でも、あのシュートはその後も、助けてもらったよ。特に、阪神へ移籍して先発やるようになってからはな。いわゆる抜いたシュート。この1球はほんまに、有効やった。

 記録もそうやけど、あの試合は6回3分の2を投げ、その時点でハーラーダービートップの7勝目を挙げることができた。むしろ、そっちの方が嬉しかったよ。

 イチローから三振を取った翌日には、オリックス・仰木彬監督が記者の前で喋ってくれた。

 「下柳ね、オールスターに選ぼうかな。馬力もあるし、コントロールもいい。ロングリリーフもできるからね」

 その前年の96年にオリックスが日本一になった関係で、97年は仰木さんがパ・リーグの監督やった。それで、監督推薦枠で選んでもらったというわけ。オレにとっては94年のダイエー在籍時以来、3年ぶりの球宴出場が事実上、決まった。

 シーズンの半数近い65試合に投げたんやけど、体はそこまできつくなかった。意気に感じて投げていたし、もう一つは気分転換もうまくできていたんやないかな。

 たとえば、仲間とカラオケへ行ったりね。いちいち何を歌ってたかなんて覚えとらんけど、根本要さんのスターダストレビューは確実に熱唱しとった!

 トレーニングもしっかりやったよ。東京ドームのスタンドの階段を一番上までダッシュしたり、ウエートもね。有酸素運動は必ず、毎日やっていた。乳酸を除去したかったから。あとは長風呂とストレッチ。体の手入れは入念やったよ。

 そこでの経験が、その後の長い野球人生につながった部分はあるよね。ケガをしないように細心の注意を払ったし、あれだけ投げても大丈夫だったという自信にもなった。リリーフの面白さを知ることもできたし。その時は先発したい、という気持ちは不思議となかったね。

 そのご褒美じゃないけれど、オフに年俸1億円に到達した。リリーフでは初めてね。でも、契約更改はスンナリとはいかんかった。5、6回目の更改で、ようやく判を押した次第です。

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