下柳剛のシモネタ発見

本邦初公開 下柳氏が楽天入団時に背番号「91」選んだ理由

[ 2014年2月10日 05:30 ]

入団テストに合格して入団が決まった下柳剛投手(元阪神)に楽天の帽子をかぶらせる星野仙一監督(右)

 春季キャンプも、そろそろ中盤にさしかかってきましたな。どうも、下柳です。最後に在籍した楽天は、久米島キャンプでのテストを経ての入団やった。

 「テストなんやから、ゆっくりやれや」

 星野監督からは、そんな風に声をかけられとった。今思えば、キャンプに呼んだ時点で獲ることを決めてくれとったんやろう。

 でも、こっちは早く結果が欲しいから、かなり飛ばして投げていた。自主トレ期間中も、例年にないペースでトレーニングを積んどったしね。

 「いいところを見せないといけない」

 当たり前やけど、周りはみんな楽天のユニホームを着ている。オレはと言うと、上はTシャツ…。一日も早く楽天の一員になりたい一心やった。

 フロントの方から契約を伝えてもらったのは、確か4日目やった。ブルペンでの投球練習が終わって昼飯の時。「合格です」との言葉をもらって、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 翌日の入団会見では星野監督から帽子をかぶせてもらったんやけど、それがうれしくてね。思い出したのは、瓊浦高で初めて試合用の帽子、ユニホームをもらった時。44歳になるシーズンに、またそういう感激を味合わせてもらって、星野監督にはほんま感謝してる。

 オレは楽天時代、背番号「91」をつけていたんやけど、実は秘めたる思いがあったんや。これは本邦初公開。スポニチアネックスの読者のみなさん、ラッキーですな。

 「91」でピンと来る人は、相当な野球通やろうね。2007年に亡くなった島野育夫さんが、阪神2軍監督として最後につけていたのが「91」やった。

 島野さんと言えば、中日時代からの星野監督の名参謀。楽天には盟友・田淵さんもヘッドコーチとして仕えていたけど、何か足りないのがあるとすれば、それは島野さんの存在やった。

 もちろん、選手でもあるオレに、島野さんのような役割を果たすことはできない。でも、せめて背番号だけというか、島野さんの思いを背負ってプレーしたかった。もちろん、他にもいろいろと候補はあったけどね。

 島野さんという人は親父であり、上司であり、時には兄貴のような人やった。あるときは仲間でもあったし。オレが阪神に移籍した2003年は、本当に島野さんに助けられたよ。

 簡単に言えば、島野さんは星野監督と選手の架け橋やった。チーム状況が悪かったりすると、島野さんが星野監督に叱られる。

 「これも給料の一部やからな」

 ニコニコしながら島野さんは言うんやけど、選手の立場からすれば、本当に申し訳なくなってしまう。「オレらがちゃんとせなアカン」。特にベテランだったオレたちはそんな思いにさせられたし、何より選手ロッカーによく顔を出してくれた。だから、星野監督だけでなく、選手からも本当に信頼されとったよね。

 体調を崩されてからは、シーズン中やったこともあったし、お見舞いは1回しか行けんかった。矢野と一緒にね。病室には星野監督が自分の写真を置いていったみたいでな。

 「あのオッサン、置いていきやがった」

 憎まれ口をたたきながらも、島野さんはどこかうれしそうやったのを覚えている。訃報は、奄美の自主トレ中やった。すぐに大阪へ戻ってな。出棺の際、棺をもたせていただいたけど、ほんまに悲しかった…。

 楽天の話を書いてきたし、せっかくなので、将大(田中)のことも紹介させてもらいます。

 オープン戦が終わったぐらいの段階では、まだ将大と山村(宏樹)しか電話番号も知らなくてね。開幕前、投手会の集まりがあったときなんかは、将大がナビゲートしてくれとった。

 将大とはよく話もしとったよ。でも、一番印象に残っとるのは、野球に対する取り組み方やろうね。体の手入れに対する意識も高いんやけど、キャッチボールをとにかく丁寧にやっとった。オレの22年間のプロ野球人生でも、誰よりも丁寧やったように思う。

 具体的には、30~40メートルの距離を入念にやっていたね。フォームチェックだけでなく、球筋を見極めていたんやろう。それぐらいの距離が球の伸び、へたりを確認するには一番適しとる。納得いかない時には、たとえゲーム前であっても妥協することなくずっと投げていた。

 グラウンドを離れてからも、真面目やったね。試合が終わってから飲みに行くようなこともなかったし、投手の食事会があってもダラダラと長居して飲んだくれることもない。「自分にとって何が一番大切なことなのか」というものを理解し、そのまま行動にうつしとった。結婚するタイミングとかも、良かったんやろうね。

 だからといって、チームで浮いたりすることも一切ない。中途半端じゃなく筋を通すし、人間的にもいいヤツやから、みんなが認めとったわな。

 もちろん、お茶目な一面もあるんやで。チームメートによう、プロレスの技をかけとった。でも、残念ながら、オレは一度もかけてもらえんかった。え? そりゃあ、かけにきてほしかったよ。そしたら、きっちり締めてあげたのにな! 

 まあまあ、それは冗談としても、ヤンキースの一員として投げる姿が今から楽しみやね。あれほどのコントロールがあって、スプリットを投げられる選手はアメリカでもそうはおらんやろう。

 兵庫県から北海道の駒大苫小牧へ進学して、全国制覇。プロでも当時は弱かった楽天へ嬉しそうに入って来て、コツコツと頑張って、日本一に貢献した。そういうご褒美が、今回のヤンキース入りにつながったんやろうね。自分のことにように、うれしく思ってます。

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