日めくりプロ野球 7月

【7月28日】1974年(昭49) 大物の代役も大物?“安打製造機”アルー ようやく初安打

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【太平洋3―2ロッテ】打球は鮮やかに一、二塁間を抜けていった。一塁ベース上でニコリともせず、当然といった表情の背番号2に一塁コーチが声をかけると、ようやく微笑んだ。
 太平洋クラブライオンズ(現西武)に7月から合流した、マッティ・アルー右翼手が平和台球場でのロッテ後期2回戦の3回、村田兆治投手から来日初安打を放った。

 前日のロッテ戦では無安打。来日6打席目の快音に「打ったのはスライダー。徐々に日本の投手ボールには慣れつつあるよ。でもけん制球のタイミングはまだだね」とアルー。初安打の直後に稲尾和久監督のサインで走ったが、村上公康捕手に刺され二盗失敗。日本の野球は「思っていた以上にハイレベルだ」と、メジャー通算156盗塁を記録した俊足も元大リーガーを驚かせた。
 8回の4打席目。今度は遊撃手の前にセーフティバントを決め、内野安打。「ショートの位置が深かったし、内野手の反応を見たかった」。アルーのセーフティバントといえば、サンフランシスコ・ジャイアンツ時代の62年にロサンゼルス・ドジャースとのプレーオフで勝ち越しを決め、チームにワールドシリーズ進出をもたらした伝説の名人芸だ。
 だが、このことを知る日本の野球ファンはほとんど皆無。外国人といえばパワーヒッターで粗くもあるが、豪快な一発を打つイメージが強かったため、メジャーで通算1777安打、首位打者も獲ったことのある“安打製造機”に「なんだか地味なの連れてきたなあ」と、あまり観客受けはしなかった。
 3兄弟が大リーガーというアルーも十分大物選手だったが、球宴後に日本でプレーすることになったのは、大物元メジャーリーガーの代役として呼ばれたからだった。
 太平洋はこの年、メジャーの本塁打王フランク・ハワード外野手を獲得し、高らかに優勝宣言。平和台のシーズンシートを積極的に売り込み、完売させた。ところが、その“目玉商品”が開幕戦2打席だけで、ひざを痛めリタイア。その後米国へ帰国し、治療に専念したが復帰のメドは全く立っていなかった。
 勝率5割で前期3位の太平洋だったが、福岡の関係者からは詐欺師扱いされていた。“欠陥商品”と知っていてハワードを入団させたという非難を浴びたフロントは、後期こそ優勝と心機一転巻き返しを図り、サンディエゴ・パドレスで若手台頭のためベンチを温めていたアルーに目をつけ取り急ぎ契約した。
 前年、大洋(現横浜)もアルー獲得を検討したが「30代半ばでしかもアベレージヒッター」と評価し、若くて長打力のある選手を探していたことから獲得を見送っていたが、太平洋は関係者を納得させるために「とにかく大物」という前提条件があり、ハワードとはタイプが全く違うことを知っていながらアルーを獲得した。
 当初打率1割台に低迷し「またポンコツをつかまされた」とファンは冷ややかな目線で見ていたが、1カ月ほどで日本の投手に慣れると本領を発揮。最終的に3割1分2厘の数字を残した。
 日本では76年までプレー。2年半で本塁打は14本と、助っ人としてはやはり少なく、ツウには評価されたが外国人にアーチを期待する多くのファンの間ではそれほど人気が出なかったのは残念だった。

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