日めくりプロ野球 7月

【7月20日】2001年(平13) 目立つために 里崎智也[狙って」101万円ゲット

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【全イ10―4全ウ】ファームチームの球宴、フレッシュオールスターゲームはイースタンリーグが7回途中まで8―0が大量リード。2死一塁、ロッテ・里崎智也捕手が広島・佐竹健太投手から左翼へチーム2ケタ得点となる2点本塁打を放った。膝もとのカーブをすくい上げるようにとらえた一発に里崎はインタビューで「狙って打った」とこたえた。

 これだけ派手に点を取ってもMVPにつながる“決定打”を打っている選手はいなかった。そう思った瞬間「狙うしかない」と決めて打席に入った。MVPを獲得すれば賞金100万円。いやそれ以上にここで目立てば1軍へのアピールになる。球宴では珍しく、7球粘ったのも甘い球がくるのを待っていたからだった。
 途中出場で犠飛の1打点を加え、チーム最多の3打点。しかも本塁打を放ったのは里崎だけ。グッと近くなった100万円だったが、マイナスポイントもあった。注目される試合でパスポールが2つ。いくら普段バッテリーを組んでいない投手の球を受けるにしても、これはマズかった。
 ヒヤヒヤしながら残り2回を守った里崎。表彰選手が発表されると、満面の笑みを浮かべ「¥1,000,000」と記された発泡スチロールのボードを高々と掲げ、ホームラン賞の1万円と合わせて101万円をゲットし表彰台に上った。
 即戦力捕手といわれてドラフト2位で入団も3年目。1年目の夏場に左手首を骨折し、フレッシュオールスターの出場を辞退したのが試練の始まり。2年目に開幕1軍切符を手にし、いきなりマスクをかぶったものの、骨折の影響で定着できず、出場はわずか4試合にとどまった。
 3年目の01年、大卒で入団した里崎に高校から入った選手のようにじっくりファームで鍛えるという時間的余裕はなかった。帝京大時代に首都大学リーグタイの4試合連続本塁打の記録を打ち立てた打撃にまず磨きをかけるべく連日浦和の2軍施設で特打を日課にした。その成果がファームの選手が一番目立つ舞台での一発につながった。
 01年は9試合、02年に12試合と徐々に出場機会を増やし、03年78試合で1軍に定着。規定打席には及ばなかったが、3割1分9厘、8本塁打、39打点をマーク。課題だったキャッチングも上達した背番号22はチームの正捕手としてだけではなく、06年の第1回WBC代表に選ばれ、日本の世界一に貢献。球界の顔となる捕手となった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る