日めくりプロ野球 7月

【7月11日】1985年(昭60) パ・リーグ初の大卒2000安打 有藤道世「冥土まで持って行く」

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【ロッテ8―7阪急】感触はバッチリだった。阪急・星野伸之投手のスライダーをとらえた打球は、川崎球場の左翼線にライナーで飛び、切れずにフェアーグラウンドに落ちた。
 一生懸命走っているつもりだが、どうにも足が重い。砂ぼこりを舞い上げ、二塁ベースに足からスライディング。“長旅”が終わったとばかり、ホッとした表情を浮べた瞬間、喜びがこみ上げてきた。ミスター・ロッテこと有藤道世左翼手が通算2000安打を達成した。

 五色のテープがスタンドから投げ入れられ、歓声が上がり拍手が途切れなかった。ルーキーイヤーの69年5月5日、東京スタジアムでの阪急3回戦の7回、大石清投手から放ったプロ初安打初本塁打から17年。ようやくたどり着いた大きな節目だった。
 1男2女、3人の子供が二塁ベースまで駆け寄って記念の花束とリボンの付いたバットを父親に手渡すと、感激に満面の笑み。有藤の写真集を自費出版するため、原稿執筆と取材で毎日追われている夫人もこの瞬間を一生忘れまいと、スタンドから感涙をぬぐいながらその雄姿をまぶたに焼き付けていた。
 「フェアーになってくれ!祈りながら走ったよ」という有藤。数々のプレッシャーがかかる場面を経験してきた男が、あと1本で大記録達成と意識した時「体がガチガチでバットが出てこなかった」。6回の3打席目「もう開き直ったね。何も考えず来た球を振るだけやったね」。好結果はこうして生まれた。
 大卒の選手による大台到達は、巨人・長嶋茂雄三塁手、広島・山本浩二外野手に次いで3人目だが、パ・リーグでは初。しかもセの2人は立教、法政と花の東京六大学出身だったが、有藤は近畿大出身。六大学以外からの初めての金字塔だった。
 高知出身。母親の近くにできるだけいて世話をしたいという希望で在阪球団志望だったが、入団したのは東京オリオンズ。名物オーナー、“ラッパ”こと永田雅一オーナーがほれ込んでドラフト1位指名した。
 オーナーの期待は背番号8を与えたことに表れていた。8番は63年オフに“世紀のトレード”で阪神に移ったオリオンズの顔、山内一弘外野手が付けていた番号。山内は阪神からさらに移った広島で2000本安打を記録していた。
 5年間、半ば永久欠番扱いだった偉大な数字を、永田は有藤にプレゼント。「これでオリオンズも長嶋に負けないサードを獲得した」とご満悦だったが、背番号が与えられた時点で有藤は山内に負けないだけの成績を残すことが宿命となった。
 以後、有藤は順調にロッテの中軸打者として成長したが、右手首のけんしょう炎を患うなどケガとの戦いもつきまとった。チームの顔だけに優勝を逃せば戦犯扱いもされた。モチベーションが落ちかけた時、観客の多いセ・リーグへの移籍を夢見たこともあったが、ロッテ一筋で2000本を達成した初の選手であることに、達成後は誇りを感じていた。
 元同僚で名球会の先輩、西武で現役を終えた山崎裕之内野手に会員の証となるブレザーを着させてもらうと、有藤は感慨無量といった面持ちで心境を述べた。「ケガが多くてここまでこられるとは思わなかった。大きなことをしたという気持ち。自分をほめてやります」。
 ヒーローインタビューでも気の利いたセリフを言えない“土佐のいごっそう(頑固者)”もこの日ばかりは舌が滑らか。「初本塁打とこのヒットは冥土まで持ってゆく。それくらい忘れられない」
 あれから25年。ロッテ生え抜きの選手で2000本に到達した選手は皆無。栄光の背番号8は、4人の選手を経て有藤が全盛期に守ったサードと同じポジションで出場している今江敏晃内野手が継承している。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る