日めくりプロ野球 7月

【7月10日】2009年(平21) 1浪投手河原純一 4年ぶりに転がり込んだ白星

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【中日3―0広島】目の前で3番打者が敬遠された4番はカッカと燃えていた。「併殺狙いでインコースにくる。内側からバットを出してゴロを打たないようにするしかない」。中日トニ・ブランコ一塁手はそれだけを心に決めると、初球から積極的に振っていった。
 広島・林昌樹投手の初球は予想通り内角のシュート。腕をたたんで脇を締めたスイングから放たれた打球は、打った瞬間それと分かる左中間スタンドへの24号3点本塁打。延長10回、0―0の投手戦は、助っ人外国人のサヨナラ弾で劇的な幕切れとなった。
 笑顔、笑顔で出迎える中日ナインの中で右腕にアイシングをしながら、握手を求めに来た投手がいた。河原純一投手、36歳。ドラゴンズ1年目の右腕に白星が付くのは、西武に在籍した05年6月11日の巨人戦以来1490日ぶり。4年以上の歳月が流れていた。

 「チームの勝利が一番。好投した(先発の)チェンや(2番手の)浅尾(拓也投手)に勝ちを付けてあげたかったけど、みんなのおかげで勝ち星をもらった」と河原。延長の1イニングを19球でゼロに抑えて、その流れが呼び込んだともいえるサヨナラアーチ。「河原には経験がある。修羅場をくぐってきた選手」と落合博満監督が評するように、10回の投球は落ち着き払ったものだった。
 先頭の広瀬純右翼手に左前打を浴び、犠打と四球で1死一、二塁のピンチを招いた。1点も許されない展開で得点圏に走者を背負う重圧はかなりのものだが、赤松真人中堅手を注文どおり併殺打に仕留めた。巨人時代にも抑えを経験したベテランは慌てず騒がず冷静に最善の投球で危機を乗り越えた。
 一度は“死んだ”右腕だった。07年、わずか3試合0勝2敗の成績で、オフに西武から戦力外通告。トライアウトにかけたが、吉報は届かなかった。このままでは終われないという気持ちが強く、1年間“浪人”を決意。08年のトライアウトまで、母校の駒沢大でトレーニングを積み重ねた。
 かつての巨人ドラフト1位がそこまでしなくても…という周囲の雑音もあったが、河原の頭の中にあったのは、もう一度1軍のマウンドで投げる自分の姿だけだった。苦しい1年も05年に手術した右ひざの「回復トレーニング期間」と位置づけて乗り切った。
 08年秋、河原が復活へ向けて汗を流しているという話を聞いた駒大の先輩で中日の森繁和バッテリーチーフコーチに声をかけられた。年俸600万円は2軍選手並の扱いだったが、若手が多い中日中継ぎ陣の中で度胸と経験を買われての入団だった。
 初勝利からさらに2つ白星を増やし3勝0敗で09年を終えた。プロ14年目での登板数44は巨人でストッパーを務めていた02年の49に次ぐ数。年間を通して失点7、防御率1・85。後半戦は落合ドラゴンズの勝利の方程式になくてはならない存在になった。
 2010年はまだお声がかかっていない。中日のV奪回に背番号60が呼ばれる日が遠からず来るに違いない。

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