日めくりプロ野球 7月

【7月5日】1959年(昭34) 1イニング4奪三振 1点まで取られた幸田優

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【大洋4―3広島】なんとも釈然としない先制点の取られ方だった。プロ初勝利からここまで6勝の大洋・幸田優投手が不思議な体験をしたのが川崎球場でのダブルヘッダー第2試合、広島18回戦の2回だった。
 広島の4番大和田明左翼手はフルカウントから幸田得意の縦のカーブで空振り三振に仕留めた。が、土井淳捕手がこれを後逸。振り逃げで一塁に進んだ。

 5番藤井弘一塁手の2球目に大和田は二盗に成功したが、その藤井は見逃し三振。続く6番横溝桂右翼手も幸田の変化球に全くタイミングが合わず三振。普通なら3者連続三振でチェンジだったが、現状は2死二塁。7番上田利治捕手を迎えた。
 関西大で阪神・村山実投手とバッテリー組んでいた、頭脳的な捕手だったが、バッティングはそれほどでも…という評価だった上田。それでも甘い球は逃さなかった。幸田が簡単にストライクを取りにきた真ん中のストレートを左前に弾き返すと、二走の大和田が一気に生還。広島が1点を先制した。
 普通なら無得点で終わるはずが、点を与えてしまった背番号44。かけている眼鏡に何度も触れ、いらだちを隠せない様子だったが、続く8番興津立雄三塁手から空振り三振を奪い、これでチェンジ。1イニング4三振で失点1という前代未聞の記録が残ることになった。
 1イニング4三振は以後、93年8月8日にオリックス・野村貴仁投手が記録するまで34年間記録されなかったが、落ちるボールがウイニングショットになるケースが増えた90年代後半から急増。09年9月17日に巨人ウィルフィン・オビスポ投手が阪神戦で記録するまで13度を数える。
 しかし、失点をしたのはこの幸田のケースのみ。珍記録以降、どうもツキから見放された野球人生を歩むことになった。
 4三振の試合も4回で降板、チームはサヨナラ勝ちを収めたが、勝ち星は付かなかった。結局、その後は1勝しか出来ず、7月の時点でチームの勝ち頭だったものの、以後1勝しか積み上げられず計7勝に終わってしまった。
 翌60年4月2日、中日との開幕戦で大洋のエース、秋山登投手が試合前に中日・牧野茂コーチの手からすり抜けたノックバットに頭を直撃され登板不能になると、幸田は急きょ開幕投手に指名された。しかし、1点差で敗れ白星をつかみ損ねると、シーズン2勝止まり。三原脩新監督を迎え、初優勝を飾った大洋だが、シーズン後半の優勝争いの中で幸田は敗戦処理的な役割が多く、時には三原監督得意の“あて馬”(偵察メンバー)に名前を使われることもあった。
 62年のキャンプ中、打球を後頭部に受けた幸田はその後遺症がひどく、2試合に登板しただけで引退を余儀なくされた。95年に56歳の若さで病没。182センチの長身投手は引退後、球界と一線を画していたという。

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