日めくりプロ野球 7月

【7月1日】1972年(昭47) 本塁打打って怒られた福本豊 ファン大喜びのホームスチール

[ 2010年7月1日 06:00 ]

 【阪急4―2近鉄】2度目の挑戦。必要だったのは何よりも思い切りだった。5回2死三塁、カウント2―1からの4球目。三塁走者の阪急・福本豊中堅手は本塁めがけてスタートした。
 普段は足から滑り込む韋駄天もきょうは迷わず頭から行った。砂ぼこりが舞う中、外角低めのボールをつかんだ近鉄・真鍋幹三捕手のタッチよりもわずかに早く福本の左手がホームベースを触った。

 ホームスチール成功!スタンドのファンは阪急が1点勝ち越したことを喜んだというより、これが見たかった、とばかりに福本への拍手喝采を惜しまなかった。プロ4年目、通算181個目の盗塁は、初めて成功した本盗だった。
 ユニフォームの汚れは任務を完璧にやり遂げたことの証。してやったりの福本だったが、ベンチで自嘲気味につぶやかずにはいられなかった。「ホームランの時より騒いどるで。一体どいうことや」。
 初回、先頭打者の福本は左翼へ本塁打を放った。試合開始直後の先制弾にチームもファンも士気は大いに上がるものだが、福本が生還すると熱心なブレーブスファンが“罵声”を浴びせた。「コラッ、福本!ホームランなんか打ちやがって!ヒット打って走らんかい!」。三塁側ベンチの上までわざわざやって来て野次った男性に、阪急ナインも大ウケ。先頭打者本塁打を打って“怒られた”選手は、後にも先にも福本ぐらい。この半月後、その足に1億円の保険がかけられて話題となったが、それほど当時のファンは背番号7の盗塁を楽しみに球場へ通っていた。
 ホームスチールを決めた同じ72年の8月27日、東映20回戦(西宮)で日本新記録の86盗塁、1カ月後の9月26日の南海23回戦(西宮)で世界新記録(当時)の105盗塁を達成した福本。それでも本盗はこの1回だけ。88年に阪急の歴史が終わるのと同時に、エースの山田久志投手ともに引退、通算1065盗塁の日本記録を残したが、現役20年を通じてもホームスチールはこの1度しか成功しなかったというのは、とても興味深い。
 「単なる駆けっこだったら福本より速い選手はいくらでもいた」。南海、ロッテ、西武の3球団で捕手を務め、福本に計162回も盗塁を企てられ、24回しか刺せなかった野村克也捕手はそう証言する。その福本が93年まで世界記録を保持するほどの盗塁を成功させたのは、投手のモーションを盗む観察力に裏打ちされたスタートの良さにあった。
 加えてスタートを切ってからトップスピードに乗るまでの時間が短いこと、スライディングしてもスピードが落ちないことの2つが加わり、盗塁がおもしろいように決まった。「福本の足はバッテリーにも革命を促した。彼の出現でクイックモーションを各球団の投手が採り入れるようになった。一流の選手は、野球技術の発展に貢献するもんや」とノムさん。それでも福本は警戒網をくぐり抜けてスチールを成功し続け、今後日本球界では超えるのが不可能に近い生涯盗塁数を残した。
 その福本をしてもホームスチール成功はわずか1回のみ。失敗は6回を数える。「二盗、三盗とはタイミングの取り方が違う。それに阪急の打線はワシが無理してホームスチールしなくてもクリーンアップが還してくれる。一打で還れる場所まで来ればそれで良かった」。福本が13年連続盗塁王となった間、阪急は半分近い6度のリーグ制覇を成し遂げた。福本の足で好機を膨らませ、信頼できる中軸で得点するというパターンは、ブレーブスの攻撃の象徴だった。福本の言葉通り「無理に」危険を冒す必要はなかったのである。
 

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