日めくりプロ野球 7月

【7月31日】1977年(昭52) “外れ1位”11年目山下司、方角のいい北海道で初めて!

[ 2009年7月1日 06:00 ]

V9時代、代走、守備固めとして使われた山下(左)。日本ハムで引退を決意した際にもロッテから誘いがあったが、すっぱりとユニホームを脱いだ
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 【日本ハム17-1阪急】せめてヒットくらいは打ちたい。守備固めと代走、1軍での仕事はそれがほとんどだった日本ハム・山下司二塁手に8回、打席が回ってきた時のそれが偽らざる気持ちだった。
 2安打を放ち、お役御免となった中原全敏二塁手に代わって、守りから途中出場した山下。すでに15点を奪ってお祭り騒ぎのベンチ。「ガツンといったれ!」という声がどこからともなく耳に入った。

 かつては高知・伊野商高の大型内野手と呼ばれた男も、30歳間近。スラッガーとして鳴らしたのは昔の話。プロの球速についていくために、バットも短く持ってコンパクトに振るようになっていた。
 その守り専門の“自衛隊”山下のバットが阪急・大隅正人投手の真っ直ぐをとらえた。夏空の下、快音を残した打球は左中間へ。あっという間に札幌円山球場の外野席に飛び込んだ。
 堀内恒夫投手に次いで巨人の2代目ドラフト1位として入団した山下だが、これがプロ入り初本塁打。2点が入り、日本ハムは計20安打17点の猛攻を締めくくった。
 4月30日のロッテ3回戦(後楽園)でプロ入り初打点を記録したのに続いて移籍先での2度目の初体験。「嬉しい。みんな打っているからヒットくらいはと思っていたが、いい感触でした」と山下。巨人で同じ釜の飯を食った富田勝三塁手は「ビックリしたね。北海道まで来ていいものを見たよ」と自分のことのように喜んでくれた。
 北海道は山下にとって吉方(えほう)だった。巨人時代の75年、2軍の遠征で北海道に来ていた山下はここで活躍した。折りしも1軍では土井正三二塁手がけがで欠場。長嶋茂雄監督はファームから人材を登用することを決め、国松彰2軍監督が推薦したのは山下だった。
 札幌から1軍に合流する日の朝、ホテルのロビーで札幌に所用があった川上哲治前監督に偶然会った。「きょう1軍に昇格します」と報告すると、川上前監督は激励し朝食をご馳走してくれた。
 川上前監督に声をかけてもらったことで勇気百倍の山下。後楽園での試合にスタメン出場。この年最下位に終わったジャイアンツだが、珍しく3連勝し、山下も75年唯一の安打を放った。
 ドラフト1位といっても、実は4球団競合の末、阪神が交渉権を獲得した江夏豊投手の外れ1位だった。巨人がV3を達成した67年入団。四国では名の通った内野手でも、9連覇真っ只中で山下が割ってはいる余地はほとんどなかった。
 巨人での10年間、ファームでは367安打を放ったが、1軍ではわずか3安打。76年オフ、ヤクルト・浅野啓司投手と巨人・倉田誠投手のトレードに山下がプラスされての移籍話が出たが、浅野と倉田の交換は成立したが、山下はヤクルト・広岡達朗監督に戦力として見てもらえず、移籍話は流れた。途方にくれている山下に戦力として欲しいと申し出たのが日本ハム・大沢啓二監督。二塁手不在のファイターズで、山下の守備力を買っての獲得だった。
 日本ハムでは86試合出場、17安打8打点9盗塁の成績を残した。しかし、山下はこの年限りでユニホームを脱いだ。現役最後の年に最高の成績と唯一の本塁打を放っての引退だった。その後は郷里の高知に帰り、スポーツ店勤務などを経て海産物問屋に腰を落ち着けた。
 

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