日めくりプロ野球 7月

【7月26日】1977年(昭52) ルーキー梶間健一 たった5球で球宴初の記録

[ 2009年7月1日 06:00 ]

ひょうひょうとしながらも厳しい内角攻めをした梶間。通算80勝。故障さえなければ、息の長い投手になったはずだ
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 【全セ4-3全パ】カウント2-2。決め球は得意のスローカーブだった。首位打者1回、打点王2回の阪急・加藤秀司一塁手のバットは反応したが、打球は当たり損ねの二ゴロ。大洋ジョン・シピン二塁手がさばき、ヤクルト・大杉勝男一塁手に送ってチェンジ。2-2のタイスコア、2死二塁の得点機を全セ・巨人の長嶋茂雄監督は、公式戦さながらに左のワンポイントリリーフを投入することで切り抜けた。

 長嶋監督に大役を任せられたのは、ヤクルト・梶間健一投手。1カ月後に25歳を迎える、プロ野球の世界では決して若くない新人投手だった。その3日前、平和台球場での第1戦の6回、無死一塁の場面で3番手として登板した梶間は打者3人を計12球で打ち取っていた。捕逸と巨人・王貞治一塁手の犠飛で2点を入れた全セが2-1で逃げ切り、幸運にも梶間に白星が付いた。
 そんなツキを持っている男に長嶋監督は賭けて第3戦でもワンポイントリリーフとして使った。6回、展開が長嶋監督の目論見通りになるから面白い。梶間が加藤を仕留めた後、セ・リーグはヤクルト・若松勉左翼手の右犠飛で1点を入れ、7回にも敵失で追加点を挙げた。9回に1点を返されたが、中日・鈴木孝政投手が後続を断ち、全セが勝利。公式記録員は梶間に2つ目の勝ちを付けた。
 第1戦で勝ち投手となり、59年(昭34)の阪神・村山実投手、62年の東映・尾崎行雄投手以来3人目の球宴での新人勝利投手となった梶間は「いやあ、信じられないです。信じられないです」を連発。表彰こそなかったが、最高の思い出がルーキーイヤーに作ることができたと大喜びだった。
 それだけでも十分だったが、さらに2勝目のプレゼント。「たった5球しか投げてないんですよ。いいのかなあ」と首をひねるばかりの背番号19。1年のオールスターで2勝した新人投手はこの梶間が初めて。球宴で真剣勝負に出た長嶋監督も「どうだい。俺の采配冴えてたろ」とご満悦。初の全セ監督、相手は前年の76年に日本シリーズで敗れた阪急・上田利治監督とあって、お祭りを忘れてミスターは勝負に徹していた。
 “怪物”と呼ばれた長崎海星高・酒井圭一投手の陰に隠れていたが、社会人日本鋼管から2位指名された左腕こそ、ヤクルト期待の即戦力だった。サイド、スリークォーター、時には上から投げる変則投法でカーブ、シュートは2種類ずつ、これにスライダーと真っ直ぐが加わり、計6種類のボールを操り、76年の都市対抗で優勝投手となった。
 これだけの実績があればドラフト1位で消えるはずだが、「私服の時に野球選手に見られたことがない」という1メートル73、66キロのきしゃな体つきに各球団が二の足を踏んだ。
 が、目をつけた西岡清吉スカウトは「うまくいけば安田(猛投手)二世になるかもしれない」とホレ込み、球団に頼み込んで1位指名を迫った。76年のドラフトで1番クジのヤクルトは松園尚己オーナーの出身地である長崎のヒーローをトップで指名する方針だったため、泣く泣く2位ということに。しかも、24番目の指名となったため、途中で奪われても不思議ではなかった。
 西岡スカウトの期待通り、ルーキーで7勝、83年から3年連続で2ケタ勝利をマークし、低迷していたスワローズの左のエースとしてチームを支えた。椎間板ヘルニアを患い、88年に引退。模型作りが趣味の静かな左腕だったが、スワローズファンの心に残る選手の1人である。

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