日めくりプロ野球 7月

【7月24日】1984年(昭59) だから江川卓 江夏と並ぶのは興味がなかった?

[ 2009年7月1日 06:00 ]

江夏も江川も球宴は5勝を記録。阪急・山田久志投手の7勝に次ぐもので、ここでも江川は2位の記録を残した
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 【全セ4-1全パ】カウント2-0。狙うならストレートしかなかった。が、選択したのはカーブ。それもストライクゾーンに入った。ちょこんとバットに当てた打球は二塁への弱いゴロ。アウトにはなったが、2万8430人の観衆の「アーッ…」というため息が一斉にもれた。
 ナゴヤ球場でのオールスター第3戦。中日・郭源治投手の後を受け、4回から2番手で登板した巨人・江川卓投手は阪急・福本豊中堅手から見逃しの三振を奪うと、代打の日本ハムヘクター・クルーズ内野手を3球三振に仕留めるまで8人連続三振を記録。近鉄・大石大二郎二塁手をあと1球に追い込みながら、外角のカーブを転がされ、71年第1戦(西宮)で阪神・江夏豊投手が記録した9者連続三振に13年ぶりに並ぶ大記録は生まれなかった。

 福本に投げた時は138キロ程度だった直球のスピードが、「あんな速い球久しぶり見た」(阪急ブーマー・ウェルズ)、「数字より実際の方が速い。今日本で一番速い投手」(ロッテ・落合博満)と投げれば投げるほど球速がアップ。クルーズへの3球目は147キロをマークした。
 82年に肩を痛め、法大時代や20勝を挙げた81年当時のスピードボールが投げられなくなっていた江川にしてみれば、かつての“怪物”が復活したと誰もが思った、シーズン中とは別人の江川だった。
 そして大石。144キロ、145キロの真っ直ぐが決まり、簡単に追い込んだ。中日・中尾孝義捕手が大石に言った。「大二郎よ。頼むから三振してくれや」。顔は笑っていたが大石は語気を強めて言い返した。「冗談じゃないですよ。ここで打たなければパ・リーグの恥になりますから」。
 3球目。中尾の要求はストレートだった。きょうの真っ直ぐの走りなら三振を取れる。江川も分かっていた。が、中尾のサインに江川は首を縦に振らなかった。江川の答えはボールになるカーブ。大石も真っ直ぐを狙ってくるはず。だったら裏をかいてカーブというのが江川の考えだった。
 ボールにするのも意味があった。ミートのうまい大石だけに、ストライクゾーンならバットに当たる確率は高くなる。空振りを奪うならボール球。仮に1球外れても、今度はストレート勝負すればいい。それが江川の記録への方程式だった。
 計算違いはカーブがストライクゾーンに入ったことだった。一塁寄りのゴロを巨人・篠塚利夫二塁手が捕り、中日・谷沢健一一塁手へ。パ・リーグベンチはまるでペナントレースで優勝したかのように、二ゴロで大はしゃぎした。
 江川は後日「9連続三振を奪っても江夏さんと並ぶだけで単独の新記録じゃない。昔からタイ記録はあまり好きではない」と言った。大学時代も法政の先輩左腕山中正竹投手のもつリーグ戦通算48勝にあと1勝で並ぶという4年生最後の試合でも登板しなかったことを思えば、タイ記録に意味を感じていなかったのかもしれない。
 江川が大記録に最も近づいた日、その記録の持ち主江夏は、病院で胃の検査を受け、急性胃炎と診断され、2軍での調整をしなければならない状態だった。この年、日本ハムから西武に移った江夏は、広岡達朗監督と対立。7月、ついに初の2軍行きとなった。表向きは体調不良だったが、チームの和を乱し、成績不振の江夏に事実上引導を渡した格好だった。9連続三振を奪った球宴の顔は、もう主役ではなく、結局同年で引退。13年という歳月の移り変わりを感じさせた江川の球宴での快投だった。

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