日めくりプロ野球 7月

【7月19日】1959年(昭34) 二出川延明は言った「オレがルールブックだ」

[ 2009年7月1日 06:00 ]

引退後の二出川元審判。日本シリーズで抗議したルーキー・長嶋茂雄に「君は何年野球をやってるんだ。僕から見たら孫みたいなもんだ」と言って相手にしなかった
Photo By スポニチ

 【大毎4-0西鉄】大毎(現ロッテ)の醍醐猛夫捕手の送りバントが投手の前に転がった。西鉄・稲尾和久投手が素早くマウンドから駆け下り、素手でつかんで二塁投げた。微妙なタイミング。中根二塁塁審の両腕は横に広がり「セーフ!」の判定。納得いかない豊田泰光遊撃手は、思わずグラブを宙に放り投げた。
 1-0とわずか1点リードの大毎8回裏の攻撃。追加点が欲しいオリオンズ、最終回の攻撃に望みをつなぎたいライオンズ。無死一、二塁になるか、1死一塁になるかは大問題だった。

 当然、西鉄・三原脩監督は抗議に出た。中根塁審とやり取りすること8分。らちが明かないと判断した三原監督はバックネット裏の審判控え室に向かった。審判の権威、25年のキャリアを誇る二出川延明にルールを確かめるためだった。
 三原「塁審は同時はセーフというが、ルールブックを見せてくれ」
 二出川「なぜだ」
 三原「ルールブックには一塁の場合と違って、二塁の場合は同時はアウトだ。3分かかっても5分かかってもいい。ルールブックを見せてくれ」
 二出川「ルールブックにはそうなっていない。あくまで同時はセーフだ」
 三原「ルールブックあるんでしょ?見てくださいよ。3分かかっても5分かかっても」
 二出川「見る必要はない。僕の頭の中にちゃんとある」
 三原「ルールブックを見て…」
 二出川「(三原の言葉を遮り)オレがルールブックだ!間違いない!」
 右手で胸をたたいて三原監督をにらんだ二出川。名将といえども、年の差は10歳。まして1935年(昭10)、「東京ジャイアンツ」=巨人軍の初代主将として、まだ若かった三原らを率いて渡米した大先輩にそれ以上“口ごたえ”できなかった。
 三原は黙って引き下がるしかなかった。大毎はこれを足がかりにトドメの3点を奪い、ダブルヘッダーで連勝。4年連続の日本一を目指す西鉄の優勝のチャンスはこれでさらに遠のいた。
 二出川がかたくなにルールブックを見せなかったのにはわけがあった。試合に出場する時でもしない時でも、必ず携行していたが、この日に限って自宅に忘れてきてしまった。前夜、寝床で読んでいて、珍しくそのままにしてきてしまったのだ。
 この仕事に誇りを持つ二出川にとって恥すべきことだった。そんなことは後輩の前で口が裂けても言えない。ただでさえ子供の頃から人一倍強がりを言って生きてきた二出川が、切羽詰って言った言葉が、プロ野球史に残る名言「オレがルールブックだ」だった。
 威厳をもって判定をし、抗議を受け付けず、食い下がる監督たちをも沈黙させた二出川。戦前、まだ審判が3人しかいなかった時には、1日に同一球場で3試合とも球審を務めたこともあった。ベンチから「このヘタクソ!」と野次った選手を即刻退場させたり、写真で完全にセーフになっている場面を指摘されても「これは写真が間違っている」と言ってのけた。誰が見てもセーフの判定を誤ってアウトと言ってしまっても「今のはアウト。ただし次からは分からない」と言って問題を解決してしまう強引さは誰にもマネが出来なかった。没後、20年。今となっては笑い話だが、審判がさげすまされていた時代に体を張って監督選手になめられまいとしていた、心意気が伝わってくる。
 6年4月11日、神宮球場での東映-南海2回戦で、二塁塁審を務めて引退。最後の見せ場は6回、南海・野村克也捕手の本塁打を追いかけて判定。右手をグルグル回したシーンだった。
 70年に野球殿堂入り。「行けばいろいろ注意したくなる。もう年寄りの出る幕ではない」と言って引退後は極力球場に足を運ぼうとはしなかった。「気が向いたとき、スタンドでひっそりと試合を見るのが楽しい」と話していたが、そのときもルールブックは持参していたのだろうか。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る