日めくりプロ野球 7月

【7月15日】1993年(平5) 運も尽きた?外国人新記録のブラッグス 実は前夜に…

[ 2009年7月1日 06:00 ]

豪快なホームランでファンを魅了したブラッグス。通算91本塁打、打率3割。94年にはベストナインに選ばれた
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 【ヤクルト5-3横浜】ヤクルト・伊東昭光投手の外角低めストレートを踏み込んで打った打球は、ハドラー二塁手のグラブをかすめてセンター前に抜けた。
 特に表情を変えず、一塁ベース上に立ったのは、横浜の4番グレン・ブラッグス右翼手。この中前打で29試合連続安打となった。88年に南海のトニー・バナザード内野手が記録した28試合連続安打を上回る、来日外国人の連続試合安打新記録を達成した。

 「記録のことは知っているよ。素直に嬉しいね。ここまできたら一番上に行きたいね」。あまり笑顔を見せない1メートル93、100キロの黒い大砲は、白い歯を見せて日本記録となる広島・高橋慶彦内野手の33試合連続安打を超える意気込みを口にした。
 バナザードの記録に並んだ前日7月14日のヤクルト14回戦。ブラッグスは4打数無安打で終わるかもしれなかったが、試合は5-5の同点で延長戦へ突入。延長10回、執念の二塁内野安打を放ち、記録を継続させた。
 しかし、好事魔多しである。内野安打で記録が“延命”した直後、神宮球場のクラブハウスへ移動する際につまずいたブラッグスは右手で体を支えた。小指に痛みを感じながらも、翌日のヤクルト15回戦に出場。29戦連続ヒットをマークしたが、依然として指は痛んだ。腫れもひどくなり、我慢できなくなったため、阪神戦のため甲子園に移動した16日、大阪市内の病院で診察を受けた。
 結果は「右手第五指中手骨骨折」、いわゆる右手の小指付け根が折れていた。全治2カ月と診断され、打撃成績2位の3割4分5厘、19本塁打はトップという成績を残したままの戦線離脱となった。大洋から横浜ベイスターズになったスタートの年。ここまで2位につけ、33年ぶりの優勝も夢ではなかった時点での主砲のリタイアとともに横浜は急降下。ブラッグス骨折の日から球宴をはさんで10連敗を喫し、終わってみれば前年と同じ5位に沈んだ。
 メジャー通算70本塁打。シンシナティ・レッズでは4番を張ったこともある大物だったが、来日直後は変化球が打てずに苦しんだ。自分のスタイルに固執し、ダメになる外国人スラッガーは枚挙にいとまがなかったが、ブラッグスはここれで謙虚になった。
 32試合連続安打のパ・リーグ記録を持つ、長池徳士打撃コーチから「胸板が厚いから、グリップをもう少し体から離して構えてみろ。構えが窮屈じゃなくなり、ゆったりとタイミングが取れる」とアドバイスを受けた。さらにアッパー気味のスイングもレベルスイングに、使っていたバットも短くし、バットも軽くした。
 すると、本塁打を量産するようになり、ヒットも出るようになった。29試合連続の記録が始まった時、2割6分9厘だった打率が、7分6厘も上がり、その間本塁打も11本かっ飛ばした。
 顔はややこわもてだが、実は敬けんなクリスチャン。背番号44は初めて米国のマイナーで付けたナンバーで「初心に帰る」というつもりで付けた。趣味は訪れた先でTシャツを買うこと。夫人は米人気女性ボーカルグループ「アン・ヴォーグ」のメンバー、シンディ・ヘロンで、横浜にいた4年間は歌手活動を休止するほど仲が良かった。
 横浜史上“最強助っ人”と呼ばれた、ボビー・ローズ二塁手とともに横浜元年から在籍したが、96年死球禍の影響とひざの故障で成績が落ち、解雇された。時に34歳。体が大丈夫なら、2年後の横浜優勝時にもV戦士として名を連ねていたに違いない。

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