日めくりプロ野球 7月

【7月13日】1971年(昭46) ロッテ、オーナーの指示で濃人渉監督が放棄試合

[ 2009年7月1日 06:00 ]

江藤の三振の判定に猛抗議するロッテ濃人監督(前列左から2人目)、その後は退場になった矢頭コーチ
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 【阪急9-0ロッテ】砂川恵玄球審が試合再開を告げた。阪急ナインは所定の守備位置に就き、マウンドの足立光宏投手はボールを投げた。しかし、打席にロッテの選手はいない。いないどころか、足立の投球には目もくれず、三塁側ベンチは1人また1人とそこから姿を消していった。
 再開を宣言してから1分が経過した時、砂川球審は“最終宣告”をした。「フォーフィッティドゲーム(没収試合)!」。プロ野球史上6度目、ロッテは試合を途中で投げ出した放棄試合で、野球規則2・31に従い、相手チームの阪急に9-0で白星が付いた。

 きっかけはハーフスイングをめぐる判定だった。7回、ロッテの先頭打者、4番江藤慎一一塁手がカウント2-1からの外角低めに反応。バットがピクッと動いた。砂川球審の判定は「ボール!」だった。捕球した岡村浩二捕手が振り向いた。「どこ見てんねん!完全なストライクや!」。一瞬間があったが、今度は砂川球審が「ストライーク、バッターアウト!」と180度違う判定を下した。
 今度はロッテ側が黙っていない。江藤が抗議する前に、すっ飛んできたのは矢頭高雄三塁ベースコーチ。「ボールって言っただろ!岡村のクレームで変えたんか!」と言うや否や体当たりを食らわした。即座に退場を言い渡した砂川球審だが、ロッテベンチから出てきた濃人渉監督以下、選手、コーチに囲まれ、激しい罵声を浴びせられた。
 執拗に抗議する濃人監督。時間は10分、20分と経過していった。抗議が終わらず、いら立つファンがグラウンドになだれ込み、江藤や砂川球審に殴りかかる輩も出た。警官隊が出動するも、観客はさらにエキサイト。「ロッテ、帰れ!」「審判代えろ!」などとわめきながら、空き缶に空き瓶、食べかけの焼きそばやお好み焼き、なぜか靴まで投げ込まれる無秩序状態となった。
 責任審判の田川豊一塁塁審が濃人監督に言った。「このまま行けばロッテの放棄試合になる。お客さんにも申し訳ないし、ロッテは制裁金を支払わなければならなくなる。提訴を条件に試合再開をしてくれ」。濃人監督はこの提案を突っ張ねた。というのもこの時、ネット裏で観戦していた中村長芳オーナーの指示を武田和義球団代表を通じて耳打ちされていた。「審判が判定を覆すまで試合再開に応じるな。試合放棄になっても構わん」。
 現場の指揮官が興奮しているところいさめるのがオーナーをはじめとするフロントの役割のはずだが、この場合は“積極介入”。その真意は分からないが、球界名物だった永田雅一オーナーに代わって球団経営のトップに立つことになった岸信介首相の元秘書は、思い込みが激しく、自分が即座に判断したことを押し通す性格だった。
 ハーフスイングから35分。ついに放棄試合が宣告された。1-4で負けていたロッテにとっては、0-9で負けるのも同じ1敗のように思えたが、これで済むわけがなく、ロッテに課せられた制裁金は200万円。これにロッテの選手らが西宮球場から出る際に乗ったバスが投石などによって破損。その修理や弁済に約300万円の請求書が回ってきた。
 これで500万円。まだある。放棄試合の場合、主催球団の被った利益も補償しなければならず、入場券の売り上げからナイター照明代など、安く見積もっても1000万円は優に超える額となった。総理大臣の月給が66万円だった時代に1年分の給与を軽く上回る負担に、ただでさえ経営の苦しいロッテはさらに自分の首を絞めることになった。
 中村オーナーの暴走は止まらない。放棄試合から10日後の7月23日、阪急に2-11で大敗した直後に、前年の70年にパ・リーグを制した濃人監督を解任し2軍監督へ降格。大沢啓二2軍監督と入れ替えた。赤字の球団経営がなかなか軌道に乗らないことで、自らの思いつきによって話題を提供しようというにおいがしたが、とにもかくにもロッテはこの猪突猛進型のオーナーにかき回された。かき回すだけかき回しておいて、中村オーナーは翌72年10月、西鉄から太平洋クラブに経営権が移ったチームのオーナーになるため、借金だけを残してロッテを去った。
 これ以外にも逸話に事欠かない中村オーナーだったが、オーナーのツルの一声で成立した放棄試合は以後40年近く1試合もない。

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