日めくりプロ野球 7月

【7月11日】1977年(昭52) 2本目の“幻の本塁打” ミッチェルが閉幕で迎えた“悲劇”

[ 2009年7月1日 06:00 ]

ホームランか三振か豪快な選手だったミッチェル。通算113本塁打、在籍4年間毎年三振王になった
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 季節は梅雨真っ只中。試合開始直後から雨はパラパラ降っていたが、試合開始1時間が経過した午後7時半ごろ、とうとう本降りになった。後楽園球場での日本ハム-クラウン(現、西武)後期4回戦。次第に強くなる雨足をみつめながら、背番号39の助っ人は気が気ではなかった。
 ホビー・ミッチェル外野手は初回、クラウン先発の玉井信博投手から左翼上段、あわや場外かという豪快な20号3点本塁打を放った。ホームランダービートップに立つロッテのレロン・リー内野手とこれで2本差。来日2年目の33歳にとって、日本で野球を続けていくにはどうしてもキングの座がほしかった。

 試合は3回まで終了していたが、このままでいけばノーゲーム。見事な1発も記録には残らず、“幻の本塁打”となる。天にも祈る気持ちだったが、雷雨になってはどうにもならない。結局試合は中止、ミッチェルの20号は公式記録として認められなかった。
 「アンラッキーたね。スライダーを完ぺきに打てたんだけど…」とうつむいたままのミッチェル。「また晴れている日に打てばいいだけだ」と気を取り直していたが、1メートル93の長身の後姿は寂しそう。「これで2本目だろ、かわいそうだよな。なんとかならねぇものかね」大沢啓二監督も同情せずにはいられなかった。
 4月29日もミッチェルは雨にたたられた。同じ後楽園でのロッテ3回戦。2回、村田兆治投手から2回に6号ソロを放った。しかし、ゲームは3回表でノーゲーム。試合前から空模様は怪しかったが、天皇誕生日(現、昭和の日)で観客が多かったことから強行したが、土砂降りの中での続行は不可能だった。 1年で2本の本塁打がノーカウントという運のなさ。巨人・王貞治一塁手は現役19年目の7月11日時点で735本塁打を記録していたが、幻弾はゼロ。そう考えると、なんとも悲運なミッチェルだった。
 この2本が閉幕近くになると大きく響いた。公式戦全日程を終え、リーは34本塁打。ミッチェルは32本塁打。あの2本がカウントされていれば、本塁打王を両者で分かち合うことができた。最後の試合は10月6日、大阪球場での南海戦。すでに消化ゲームの南海は3試合目の登板となる池之上格投手が先発。力んだミッチェルは4打数無安打2三振。タイトルは幻に終わった。代わってトップだったのが158個の三振数。当時、パ・リーグ新記録となる不名誉な勲章だった。
 翌78年に本塁打キングになったものの、三振数は相変わらず。大沢監督が「前に飛べばホームランだけど、飛ばないことの方が多すぎるぜ」と嘆いた。来日4年目の79年は22本塁打、60打点、2割3分3厘と低迷すると、ファイターズは競馬と牛乳が好きな35歳の大型扇風機と契約を更新しなかった。
「帰国して牛乳配達をするのはゴメンだ」と口癖のように言っていたが、米国に戻ってからの足取りははっきりしていない。
 

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