日めくりプロ野球 7月

【7月10日】1978年(昭53) 乱闘、退場、暴言…暴走した助っ人シピン、ライト

[ 2009年7月1日 06:00 ]

大洋から移籍後、トレードマークの長い髪とひげを落とし、精悍な顔になったシピン。試合になるとエキサイトもしたが、普段は「物静かな紳士」という印象を抱いた選手も多かった
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 【巨人7-7ヤクルト】試合開始直前の神宮球場に降り出した夕立が、首位ヤクルトを2・5差で追う巨人ナインをいら立たせていた。
 前夜は6-6の引き分け。6月18日の引き分けと合わせて、2試合連続白黒がはっきりしていなかった。「今日こそは…」という両チームの闘志が逆に試合を思わぬ方向へと導いてしまったのかもしれない。

 初回、2死二塁。5番ジョン・シピン右翼手の初球。鈴木康二朗投手のシュートが左ひじに当たった。何のためらいもなくマウンドに突進したシピン。逃げ惑う鈴木を守ろうと、東映(現日本ハム)時代からこの手の乱闘には慣れっこの大杉勝男一塁手が駆けつけ、シピンの胸ぐらをつかんだ。気がつけばマウンド上は両軍入り乱れての乱闘に。1分後、シピン退場で騒ぎ収まったが、試合は一気にヒートアップした。
 打席では前足にあたる左足をバッターボックスの線ギリギリに置き、クローズドスタンスで構えるシピンにとって内角球はほとんど“危険球”と同じだった。5月30日に古巣大洋戦でルーキー門田富昭投手の内角攻めで殴りかかったことで、他球団はシピンへのインコース攻めを避けていたが、その間にシピンは打率を3分も上げ、3割2分4厘になった。これ以上、巨人の助っ人を調子に乗らせるわけにはいかないと、大矢明彦捕手は初球から鈴木のウイニングショットで勝負を挑んだ結果だった。
 しかし、シピンの威嚇は鈴木を動揺させることには成功した。巨人は2回までに5点を奪い、眼鏡をかけた長身の投手をKO。きょうこそは白星が見えたかに思えたが、巨人の先発クライド・ライト投手はこのリードを3回で吐き出そうとしていた。
 デーブ・ヒルトン二塁手に本塁打を浴び、さらに角富士夫三塁手、若松勉左翼手に連打を食らうと、長嶋茂雄監督はライトに交代を命じた。前年11勝をマークしていたライトも来日3年目は勝ち星が思うように増えず、ここまで3勝。まだリードしている試合での交代に大リーグ100勝投手のプライドが許さなかった。
 ベンチ裏に戻るや否や、ユニホームを脱ぎ捨て足で踏みつけ、大声で怒鳴り散らした。「きょうで日本の野球は終わりだ。ナガシマの下ではもうやってられない。荷物をまとめて帰国だ。長谷川代表を呼んで来い」。大好きなコーラを一気に飲み干すと、ビンを叩きつけて割り、写真を撮っていた新聞社のカメラマンのカメラをつかみ取り、これも地面に叩きつけた。
 シピン、ライトとも東京・広尾のマンションに住んでいたが、試合中にもかかわらず2人ともシピンの車で帰ってしまった。巨人軍の歴史上前代未聞の出来事で、球団は厳重処分を即座に決定。解雇も辞さずという強い態度に出たが、それ以上に過激だったのがヤクルトファンだった。球場を後にするシピンの車を一部のファンがタクシーなどで追跡。マンションに着いたところで降り、車をかこむと「アメリカに帰れ!2度と球場に来るな」と“口撃”。警察官が出動する騒ぎになった。
 トラブルメーカーの2人が去ったが、今度はヤクルトにけが人が続出。シピンに飛びかかった大杉は5回に自打球が顔面に当たり担架で運ばれると、代わって一塁に入った伊勢孝夫が8回に堀内恒夫投手から顔面に死球を食らった。巨人が2点りーどで迎えた9回にヤクルトが執念で追いつき同点。3時間48分の熱闘は結局時間切れ引き分け。同一カード3試合連続でのドローとなった。
 試合が終わっても一人で“延長戦”に突入したのは、長嶋監督。通路にあったバケツを蹴飛ばすと、ロッカールームのドアまで蹴り上げる荒れよう。勝ち試合を引き分けにされ「黒星と同じだ」と吐き捨て、後は番記者が何を聞いてもまともに答えなかった。
 ライトはそのまま退団、シピンは制裁金10万円と3日間の出場停止処分が球団から科された。首位奪回を目指す巨人は当初「戦力の現状を考慮して、制裁金でファンの方に納得してほしい」(巨人・長谷川代表)との方針だったが、世論の反発が激しく、翌日になってやむなく出場停止を追加した。
 引き分けの3試合でいずれも勝機が十分にあったジャイアンツは1つも勝てず、最終的に3差でヤクルトに初優勝を許した。試合中に帰宅した“害人”が勝負運まで持ち去ってしまった梅雨時の試合だった。

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