日めくりプロ野球 7月

【7月6日】1971年(昭46) 長池徳士、妻の前での日本記録は豪快な本塁打

[ 2009年7月1日 06:00 ]

法大時代はわずか3本塁打。プロ入り後青田昇コーチの指導で開眼した。通算1390安打、338本塁打
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 【阪急8-3西鉄】見送るだろう。仮に打ってもファウルになるだろう。そう考えて西鉄(現、西武)・三輪悟投手が投げたインコースのシュート。阪急(現オリックス)の4番長池徳士右翼手はそれを強振した。
 腕をたたんで押し込む。窮屈なスイングだが、体の軸がブレずに、ボールはバットに当たった。真芯ではなかったが、ここからが長池の技の真骨頂。右腕の押し込みと左腕を抜く感じで振りぬくと、ライナー性の打球は左翼に向かって一直線。東田正義左翼手が背走するも、白球は悠々とその頭上を越えて、西京極球場のスタンドに吸い込まれた。
 長池のシーズン22号本塁打。圧巻の一発に一塁側阪急ベンチ、それにわずか3500人だが、この瞬間を待っていた熱心なブレーブスファンが総立ちになり、歓声を上げた。32試合連続安打。戦後間もない46年(昭21)、まだ1リーグだった時代に同じ阪急の野口二郎投手兼内野手が樹立した31試合連続安打を25年ぶりに更新する日本記録が生まれた。
 悠然とベースを回る長池。三塁ベースを踏んでホームへ向かったその時、一瞬バックネット裏の観客席に目をやった。視線の先には前年10月に結婚したばかりの妻がいた。「まさか本塁打で飾ってくれるとは思わなかった。飛び上がるほどうれしい」。新妻は目を潤ませた。
 妻をホロリとさせた長池は、2打席目からはビックリさせた。4回、今度は三輪の初球を叩いてまた左翼へ23号ソロ。6回の第3打席、代わった柳田豊投手から三たび左翼へ24号ソロ。日本記録の“オマケ”が3打席連続本塁打。もう1本打てば、これも日本記録タイとなる。これ以上長池の独壇場は勘弁…という西鉄は、8回の4打席目は敬遠。1試合で1人の選手が2つの日本記録という前代未聞の出来事はならなかった。
 西京極球場で試合後のヒーローインタビューが行われたのは、67年に阪急が球団創設以来初優勝した時に続いて2回目だった。「記録がいつ終わるか分からないので、1打席ずつ丁寧に打った。27、8試合目がいちばん苦しかったが、きょうは気楽に打てた」。家族が観戦していると硬くなって打てないものだが、ここまで記録を積み重ねてきた自信が、いつも通りのスイングをさせた。
 65年、第1回ドラフト会議の阪急1位で法大から入団。4年目の69年に41本塁打、101打点で二冠王。MVPまで獲得した。しかし、翌70年は102打点も28本塁打に減り無冠。チームもパ・リーグV4を逃した。
 結婚した長池は言った。「僕が今年成績が悪かったら、女房のせいにされてしまうだろう。それはかわいそう。だから…」。ただでさえ練習の虫といわれた男が、さらに目つきが変わった。当時の長池の持論は「バッティングに理屈はいらない。練習あるのみ」。新妻が握る夫の手はいつもマメだらけ。その手が握るバットから新記録が飛び出した。
 5月28日の南海8回戦(大阪)で佐藤道郎投手から本塁打を放ち始まった連続試合安打。その期間の打率は4割2分4厘。マルチ安打は半分以上の17試合を数えた。チームもその間23勝5敗4分けの強さでガッチリ首位をキープ。その後前年優勝のロッテに追い上げられたが、逃げ切ってV奪回を果たしたのは、まさに長池のバットの賜物だった。
 この年、3割1分7厘、40本塁打、114打点。好成績を残したが打撃3部門では無冠。それでも2度目のMVPを獲得した。32試合連続安打は、個人記録だけでなく、チームを優勝に導いたところに価値があった。

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