日めくりプロ野球 7月

【7月31日】1979年(昭54) “ドンくさい”男がスイッチ転向2年目でプロ野球新記録

[ 2008年7月28日 06:00 ]

広島黄金時代の切り込み隊長として活躍した高橋。作家村上龍は高橋のその野球での姿にほれこみ「走れ!タカハシ」という短編小説まで書いた
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 【巨人8-6広島】巨人の左のエース、新浦寿夫投手が投げたインコースに沈むシュート。やや詰まったが、毎日欠かさず振りまくった素振りの成果が出た。思い切り振り抜いたバットから放たれた打球は河埜和正遊撃手の頭上を越え、スイッチヒッターの大先輩・柴田勲左翼手の前にポトリと落ちた。
 柴田から河埜、そして王貞治一塁手へとボールは転送された。「おめでとう」。世界の本塁打王から祝福の言葉とともに手渡された白球を握った瞬間、22歳の若きスイッチヒッター、広島・高橋慶彦遊撃手は初めて白い歯をこぼした。

 この左前打で33試合連続安打。1971年(昭46)、阪急・長池徳士外野手が記録した、同32試合を上回る、日本新記録なるヒットになった。「第1打席で打てて良かった。僕より周りの人、チームの人の方がプレッシャーがあったみたいだし…。みなさんには本当に感謝しています」。
 6月6日、中日11回戦(ナゴヤ)で始まった“ヒットパレード”。打率2割8分5厘で打撃成績19位だった位置も3割3分2厘で6位にまで上昇。奇しくもこの日は、母校・城西高が、東東京大会で優勝、高橋がエースとして出場して以来、5年ぶり2度目の夏の甲子園を決めた日でもあり、二重の喜びとなった。
 セ新記録となる31試合目も、日本タイ記録となる32試合目も3安打猛打賞。当の本人は記録を意識して緊張している様子はなかった。高橋の言葉通り、気を遣ったのは周囲の方で、新記録当日、巨人の先発を新浦と読んで古葉竹識監督は高橋用の打撃投手に左を3人用意。直球はもちろんカーブ、スライダー、シュート、果てはフォークまで打たせるほど。連続試合安打中、56本のヒットのうち、右打席ではわずかに4本。その数字を考慮しての左投手の特打ちだった。
 投手として入団もその俊足が買われて、内野手に転向した高橋。入団3年目の77年に遊撃手のレギュラーの座をつかんだ。78年、さらなる飛躍をと左打ちに挑戦して、スイッチヒッターへの改造を試みた。
 日南キャンプはまさに練習漬けだった。早朝からバットを振って、8時間に渡るチームの練習を終えた後、午後6時からマシン相手に特打ち。夕食後も室内練習場でティーとマシンを使ってのバッティング。宿舎に帰って素振り200回。ようやく風呂に入って睡眠となるが、布団の中ではバットを抱えて寝る。バッティングの夢を見ながら、気がついたことがあれば、布団をはねのけてスイング…。こんな日々の繰り返しだった。
 子どもの頃、小石を投げられても反応が鈍く、避けることができず、いつも頭に当たるほど“ドンくさい”少年は、努力と研究心でスイッチ転向1年目で3割2厘をマーク。980グラムのやや重めのバットを短く持ち、ダウンスイングでゴロを打つことに専念。俊足を生かし内野安打が増え、日本球界初のスイッチヒッターの3割打者となった。
 ところで、新記録後の高橋。実はこの試合、新記録達成のヒット1本で木下富雄内野手に交代している。2回表、走者と交錯した高橋は左足を負傷。球場内で行う予定だったパーティーも、高橋の希望で「ジープに乗って合宿所までパレードしたい」としていたイベントも中止になってしまった。
 翌8月1日の巨人戦も欠場。全治3日と診断された打撲は、結局1週間欠場することに。これで緊張の糸がプツリと切れた。
 復帰戦となった8月8日の阪神14回戦(広島)で定位置の1番に入った高橋だが、阪神・江本孟紀投手の前に連続三振、中飛、遊ゴロの4打数無安打。34試合連続はならなかった。「打てなかったのは寂しいけど、記録が止まるのは仕方がない。江本さんの気迫を感じました。ボール球に手を出しました。すべて江本さんの方が上でした」とサバサバ。2安打11奪三振で完封勝利を挙げた右腕に脱帽するしかなかった。
 あれから30年、高橋の記録はいまだに破られていない。現在、ロッテの打撃コーチを務める高橋は後年、この記録を破ろうとする選手に向かってこんなことを言っている。「その日1日、1日を大切にすること。その日できることはその日にやること」。不器用だった選手が、厳しいプロの世界で勝ち残れた秘訣がこれだった。

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