日めくりプロ野球 7月

【7月29日】1988年(昭63) 弟よ、安らかに眠れ…魂の22球でシーズン初の“奪首”

[ 2008年7月26日 06:00 ]

弟の不慮の死にも耐え投げ続けた郭。今でもドラゴンズファンの伝説のストッパーだ
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 【中日5-1ヤクルト】悲しかった、とてもマウンドで投げられる気持ちではない。だけどオレはプロ野球選手。試合に出れば全力を尽くさなければならない。「ゲンジ、行けるな」。指揮官はストッパーに「行けるか」ではなく、「行けるな」と出ることを前提に話した。中日・郭源治投手は星野仙一監督に即答した。「ハイ、行けます」。
 神宮球場でのヤクルト-中日15回戦。郭は先発・小松辰夫投手の後を受けて、7回二死からリリーフ登板。残りの打者7人を22球で完璧に抑え、23セーブ目。チームは88年のシーズン、初めて首位に立った。「きょうは弟が天国で見ていてくれる。気の抜いたボールは1球も投げられなかった」。背番号33は涙ぐんでいた。星野監督は言った。「つらいのはオレが一番良く知っている。でもゲンジはウチの抑え。あの場面はゲンジしかいない」。星野の目も潤んでいた。
 その5日前のことだった。7月24日、郭の弟・源利さん(当時25)が台湾で車を運転中、追突されて頭を強打、意識不明の重体に陥った。当日郭はオールスターゲームに出場のため、西宮球場にいた。一刻も早く帰国したかったが、プロ野球界にはこの時の郭にとって冷厳なルールがあった。「球宴を欠場した選手は、1週間再開した公式戦に出場できない」。巨人、広島と三つ巴の優勝争いをしている最中の中日。22セーブを挙げていた抑えの切り札の欠場は考えられなかった。
 郭は25日の地元ナゴヤ球場での登板を繰り上げ、西宮の第1戦に登板。8回、高沢秀昭(ロッテ)、辻発彦(西武)を連続三振、田中幸雄(日本ハム)を一直に打ち取り、交代。身一つで台湾に飛んだ。
 3日3晩ほとんど寝ずに付き添った。「バカヤロウ。早く目を覚ませよ」と弟に向かって叫んだ。「小さいころ、キャッチボールの相手だった」という仲の良い弟。引退後は中華料理店を開くつもりだった郭は弟と一緒に店を切り盛りする計画を立てていた。
 27日にチームは練習開始。郭も合流しなければならなかった。弟の訃報が伝わったのは28日の朝。郭は一人でむせび泣いたという。だけど、自分に言い聞かせた。「オレはプロ野球選手。試合に出れば全力を尽くさなければならない」。
 郭の好救援で首位を奪ったドラゴンズは、巨人と広島に競り勝ち、6年ぶりにセ・リーグを制覇。優勝の瞬間、マウンドで雄たけびをあげ、胴上げ投手になったのは、郭だった。
 

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