日めくりプロ野球 7月

【7月21日】1974年(昭49) ブーちゃんひと振りでMVP ヒマがもたらした“世界記録”

[ 2008年7月18日 06:00 ]

球宴史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を放った高井保弘(左から3番目、25番)は同じ阪急の(左から)加藤、長池に迎えられ生還。出場を推した南海・野村監督(右から2人目)もしてやったりの笑顔だ
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 【全パ3-2全セ】人生に無駄はない。バットひと振り“代打屋”稼業の男がオールスターゲームという晴れの舞台で身をもってそれを証明した。
 74年の第1戦は後楽園。9回裏、1点を追う全パは一死後、近鉄・土井正博外野手が巨人・長嶋茂雄から代わった、大洋のルーキー、山下大輔三塁手を強襲する内野安打で出塁。南海・野村克也捕手兼任監督はここでとっておきの切り札を投入。阪急・高井保弘内野手がピンチヒッターで起用された。

 この年、代打本塁打の日本新記録を樹立した高井。大学ノートに克明に記された投手のクセのメモにはこう書いてあった。「松岡弘(ヤクルト) 投げるときに左手のグラブの位置が高ければ変化球、低ければストレート」。ペナントレースで対戦しない投手のクセまでなぜ?高井は言う。「いつか役に立つこともあるかと思って、オープン戦で対戦したセ・リーグの投手のこともメモしていた」。
 阪急の高井、松岡も名前は聞いていたが、果たしてどんな打者だろうか、という気持ちだった。オープン戦でやったかもしれないが、あくまで公式戦ではない。まずは探りを入れるかと、田淵幸一捕手(阪神)も変化球を要求した。
 初球は外角のカーブ。いいコースに入ったが判定はボール。「やはり同じだ」。高井はメモ通りのクセであることを確認した。狙い球は直球もしくは併殺狙いのシュート。「インコースの低めでゲッツーを取りにくるだろう」と高井は予測した。
 2球目。松岡の左手の位置が初球より低い、と思った瞬間、高井のバットはすでに反応していた。左足を引き、やや開き気味のスタンスから出したバットは、内角球をとらえ快音を発するとともに、「ジェット機が飛び立つような当たり」(野村)は低い弾道のまま左中間スタンド中段に突き刺さった。
 球宴史上初の代打逆転サヨナラ本塁打。打席では沈着冷静だったプロ11年目の男が「ベースを回っているときはフワフワ浮いているようで」と新人選手のような心境で生還。野村監督に「やりおったな!」とヘルメットをパーンと叩かれた。
 「彼の努力と苦労に報いたい」。自らもテスト生上がりの野村の推薦で、日の当たらない代打専門の高井がスター選手が居並ぶ舞台に立った。だから「野村さんに恩返ししたい」その一心で打った一撃だった。
 全セの2点すべてを挙げた巨人・王貞治一塁手を抑えてもちろんMVPを獲得。ブーちゃんこと高井にとって“わが生涯最良の日”であった。
 64年入団。ファームでは首位打者を取るなどそのバッティングは1軍の主力選手に引けを取らなかった。長池徳士、加藤秀司ら阪急黄金時代を作った、スラッガーが「ブーちゃんの前後で打撃練習をするのは嫌や」と言わせたほど、ホレボレする打球を飛ばした。 しかし、内野をやっても外野をやっても守備はバッティングのようにいかず、ベンチの板に張り付いた「カマボコ」の野球人生だった。
 入団4年目あたりのことだった。ベンチに座っていると、打席を終えた助っ人のダリル・スペンサー内野手がノートを取り出して、何かメモしている。通訳に尋ねると「投手のクセや配球を書いているんや」と教えてくれた。
 「座っているだけではゼニにはならん。それにヒマやったし」と始まったのが、相手投手の細かい観察とメモだった。代打で登場するのは終盤。時間に余裕がある時は、バックネット裏の関係者席やグラウンドキーパーがいる場所へバレないようにジャンパーを羽織って“偵察”に向かった。「打席の目線で観察するのが一番」だったからだ。
 努力が実ったのは9年目の72年。初めて1軍の遠征に帯同することができた。以後、パが指名打者制を採用したことから働き場所を得、77年にはベストナインにも選ばれた。「高井メモ」が活躍したのは、76、77年の巨人との日本シリーズ。これまで5度挑んだジャイアンツに毎度一敗地にまみれていた阪急が2度撃破。高井のまとめたメモが巨人投手陣攻略のバイブルとしてチームに浸透した。
 代打本塁打27本は2000本安打打者の大島康徳内野手(中日、日本ハム)、町田公二郎外野手(広島、阪神)の各20本を大きく上回り歴代1位。大リーグ記録の18本も優に超す“世界記録”。82年に引退し、現役19年で665安打130本塁打。一時、整体を研究し、プロ選手のケガ予防に務めようとしたが、阪神大震災で仕事場が壊れ断念。現在は、解説者のかたわらビル管理の仕事に就いている。
 

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