日めくりプロ野球 7月

【7月19日】1975年(昭50) “お祭り”で赤ヘル旋風、甲子園を席巻4本塁打7打点

[ 2008年7月15日 06:00 ]

球宴で赤ヘル旋風を巻き起こし、後半戦に向かったチームにはずみをつけた山本浩。もともとは中距離打者だったが、ベテランになってから長距離砲となった変り種の選手だった
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 【全セ8-0全パ】「俺でいいのか?」それが率直な感想だった。75年のオールスターゲーム第1戦。甲子園球場のスコアボードの全セ3番打者のところには「8 山本」とあった。
 昨年のオールスター第1戦では8番打者だった。それがわずか1年で4番・王貞治一塁手(巨人)の露払い役。3度目の出場となる、広島・山本浩司(後に浩二)中堅手の胸は高鳴った。
 若松勉左翼手(ヤクルト)の中前打、藤田平遊撃手(阪神)の右中間三塁打で、近鉄・太田幸司投手の立ち上がりを攻めて初回に先制したセ・リーグ。無死三塁で山本に回ってきた。

 これまでのオールスターは10打数1安打。“お祭り”とはいえ、パの一流投手ばかり。そう簡単には打てない。「バット振れとるなぁ」と、前の2人のバッティングを感心しながら打席に入った。
 太田が自信を持って投じた内角低めのストレート。山本はしゃくりあげるように打った。左翼ポール際への大飛球。張本勲左翼手が追う。足が止まった。あとは見上げるだけだった。山本の球宴初本塁打となった。
 ダイヤモンドを回りながらもまだ信じられない。三塁コーチスボックスにはあこがれの人が待っていた。巨人・長嶋茂雄監督。小躍りして喜ぶ、ミスターの姿を見て初めて嬉しさがこみ上げてきた。オールスター通算14本塁打で、後に王の記録を抜いた山本の、これが球宴1号アーチだった。
 「力が抜けて感じで打席に入れたのが良かった」という山本。試合前のアトラクション、ベースランニング競争に出場した山本は、その性格のままに生真面目に全力疾走した。「コウジ、ここできばってどうするの」一塁側ベンチに戻ると王や法大の同期田淵幸一捕手(阪神)に大笑いされたが、これでヘトヘトになったことで、力まずにスイングできた。
 6番には同じ広島の衣笠祥雄三塁手が入っていた。サードのスタメンといえば、前年の74年まで長嶋と決まっていた。それが、三塁にコンバートしたばかりの衣笠が後釜に…。「俺でいいのか?」。気分は山本と同じだった。二死で走者なし。楽な気分で打席に入った衣笠も左翼へ豪快な一発を放り込んだ。
 躍動する“赤ヘル”軍団。山本は2回にも代わった阪急・山田久志投手から3点本塁打、衣笠も3回に2本目のソロを左翼へ叩き込んだ。広島の顔の2人が4発7打点。全セはこの試合で11安打を放ったが、山本3本、衣笠2本、大下剛史二塁手1本と半分以上の6本を放った。投げては2番手の外木場義郎投手も3回を無失点。かつてペナントレースでも球宴でも肩身の狭かったカープが堂々主役の座を占めた試合だった。
 この年から広島のヘルメットは黒から赤に変わっていた。「燃える赤、勝つ執念の色は赤」と主張した、新監督ジョー・ルーツ監督たっての願いだった。
 ルーツは試合中の判定に不服を唱え、さらにフロントが口出ししたことに納得できずに退団。この“赤ヘル”を置き土産に米国に帰国したが、低迷するカープに一番必要だった闘争心を色とともに残した功績は大きい。
 この赤ヘルが代名詞となった広島は、首位阪神と1・5差の3位で折り返したペナントレースをデッドヒートの末に制し、悲願の初優勝。甲子園での広島勢の大活躍は、巨人主役の時代からの変革を告げた歴史的な一戦であった。

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