日めくりプロ野球 7月

【7月16日】1965年(昭40) 荒々しい“野球博士”が教えてくれた貴重な記録

[ 2008年7月14日 06:00 ]

野球博士ことスペンサーが日本の野球にもたらした影響は大きい。後半は一塁を守ることも多かったが、メジャー時代は遊撃手として俊敏な動きをする選手だった
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 【阪急4-3近鉄】3時間23分のゲームを終え、“野球博士”はとても上機嫌だった。「オレの長い野球生活でもこんな猛打は初めてだ。諸君知っているかい?アメリカでは今日みたいなにヒットの種類を全部打つと“サイクルヒット”というのさ。こんなことは滅多にできないんだ。ヨネダも2000奪三振だって?いいことばかりだな今日は。とてもハッピーな気分だ」。
 “野球博士”こと阪急のダリル・スペンサー二塁手は、西京極球場での近鉄15回戦でサイクルヒットを達成した。当時、プロ野球24人目、外国人選手としては初めての快記録だった。今ならマスコミにとって格好のネタになるところだが、当時サイクル安打の意味を知っている記者は少なく、スペンサーが説明してもきょとんとするばかり。大きく報道されることはなかった。公式記録でも扱われなかったが、その後集計してみると、スペンサーの前に日本で23人もの選手が記録していることが分かった。

 サイクル安打当日はかつてのボス、サンフランシスコ・ジャイアンツのレオ・ドロチャー元監督が来日。35歳になる1メートル90、96キロの大男は、健在ぶりをアピールしようと張り切った結果の記録だった。
 単打、四球の後の5回、第3打席に福原勝投手の初球をたたき右中間へ特大の25号の同点2ランを放った。「右に打てば一塁走者は進塁できる可能性が高くなる。とにかく右方向だった」とスペンサー。加えてチームバッティングだけではなく、個人のこともしっかり考えているのも誇り高き大リーガーらしい。「オールスターまでには25本のホームランをどうしても打っておきたかった。それがキングになるペースだからね」。これが球宴前最後の公式戦。計算通りの本数を打って周囲を驚かせた。
 左中間二塁打を放った後の延長12回。この回得点が入らなければ時間規定により引き分けとなるところだが、すでに6イニングのロングリリーフで疲れの見えた佐々木宏一郎投手から、左中間への大飛球を放ったスペンサー。決して足は速くなかったが、猛然とダイヤモンドを駆け抜け、最後は三塁ベースへ豪快に滑り込んだ。
 「二塁と三塁では投手にかかるプレッシャーが違う。チームの勝利のために走った」。こうなると次の打者は気分的に楽になる。守備固めで入っていた山口富士雄遊撃手はカウント1-1から前身守備の二遊間を抜けるサヨナラ中前打。同点アーチ、サヨナラのお膳立てをする果敢な走塁…。「外国人選手はたくさん見てきたけど、最高なのはスペンサー。パ・リーグの豪快な野球に緻密さという概念を持ち込んだのは彼だった」(大沢啓二元日本ハム監督)。進塁打、状況を考えての走塁、併殺崩しのスライディング、中継プレーでのカットマンの役割など、今では2軍でも当たり前のプレーを身をもって教えた教えた。元メジャーリーガーがドクター・ベースボールと言われるのは、それゆえである。ある時、併殺を崩すためのスライディングをしなかった同僚選手に博士は言った。「スカートをはいたお嬢さんが野球をやっているのか。そんな選手は家で編み物でもしていろ」。
 67年、阪急はリーグ初優勝を遂げるが、スペンサーの来日4年目に当たる。西本幸雄監督の熱血指導とともに、このスペンサーの野球に対する考え方が浸透しなければ、栄光の瞬間はもっと後になっていたに違いない。

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