日めくりプロ野球 7月

【7月9日】1974年(昭49) 川上哲治が激怒した日 プロ37年、初の退場

[ 2008年7月3日 06:00 ]

ファウルの判定に激怒した巨人・川上哲治監督(右から2人目)は平光球審を突き飛ばして退場に。さらに向かっていこうとする監督を須藤豊コーチ(背番号79)が必死に止めている
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 【大洋3-3巨人】オリックスのタフィー・ローズ外野手は08年5月17日のロッテ10回戦(千葉マリン)で通算13度目の退場を宣告された。08年で日本球界12年目のローズは1年1回のペースで試合途中にグラウンドから姿を消しているわけだが、プロ生活37年で退場わずか1回だけ、しかも最後の37年目に“宣告”されたのが、巨人・川上哲治監督だ。
 川崎球場での大洋-巨人11回戦。2回一死三塁で、打席には巨人・河埜和正遊撃手が入った。大洋の先発は“カミソリシュート”の平松政次投手。初球、その伝家の宝刀がいきなり抜かれた。

 内角をえぐる切れ味鋭いシュートに、河埜は慌ててよけたが“コツン”という音ともに、球はバックネットを直撃した。左ヒジを押さえながら河埜は一塁へ走りかけたとたん、平光清球審の両手が左右に上がった。「ファウル!ファウル!」。
 血相を変えて飛んできたのが、一塁コーチスボックスの須藤豊コーチ。2軍の守備コーチ時代、河埜をしごきにしごいて1軍のレギュラークラスまで鍛え上げた須藤コーチは、愛弟子に代わって猛抗議。「あれがデッドボールじゃなくて、何がデッドボールだ!」と平光球審に食いついた。
 そこに加わったのが川上監督だった。須藤コーチを後ろに退け、平光球審の前に仁王立ち。「ファウルだって?冗談じゃないよ。河埜の左ヒジを見てくれ。見たうえで判定してくれ。塁審を呼んで確かめろ」。
 平光主審は反論した。「左ヒジに当たったのではなく、バットのグリップエンドに当たっている。塁審に確認するまでもない」。判定の正当性を主張する平光球審の態度が尊大に見えたのだろう。川上監督の顔が赤く蒸気した次の瞬間、平光球審の胸を3度にわたり、突き飛ばした。
 須藤コーチ、牧野茂ヘッドコーチが抱きつくように制止したが間に合わず、川上監督はなおも殴りかからんばかりで何か大声を発している。突き飛ばされた平光球審は最終決断をした。「退場!」。夏の陽射しが西の空に沈みかけた川崎球場は蒸し暑さも手伝って一気にエキサイト。2万7000人の観衆の中には空き瓶や空き缶をグラウンドに投げつける客さえいた。
 真実はファウルなのか、死球なのか。一塁コーチスボックスにいた須藤はこう回想する。「あれはデッドボール。間違いない。だって、平松のすごいシュートが当たって和正の左ひじの骨にヒビが入ったんだから。グリップエンドのはずがない。その後、打席に立てなくて、代打で末次(利光外野手)が出た。和正も痛がればいいのに、痛がらない。アイツ、僕がファームのコーチの時に、ボールに当たってもなにしても“ちょっとやそっとで痛がるな!”って、教え込んでたの。少々のケガで休まないように仕込んでたの。そしたら、アイツまじめだから、痛がらないの、その時も」
 「そしたら主審の平光さんが“本人が痛がっていないものは当たっていない”とか言い出して。川上さんは怒った怒った。顔真っ赤だったね。本当にデッドボールなんだ。大洋のベンチなんて笑ってんだから。大洋の選手がみんな“当たった、当たった”て言ってたよ」
 翌10日、セ・リーグは川上監督に厳重戒告と罰金2万円の支払いを命じた。ただ、セの鈴木会長は「37年間の功績と球界発展に貢献。現役監督唯一の野球殿堂入り」を理由に処分は比較的軽いものだった。背景には、判定に対する後ろめたさもあったようだが、一方の平光球審にはお咎めなし。処分をすれば、判定は間違いだったと認めることになるからだった。
 この年、巨人はV10を逃し、川上は監督を勇退。最後の最後で生涯ただ1回の退場は、突発的なものだったのだろうか。それとも開幕からチーム状態が良くならず、この時点で3位のジャイアンツに活を入れるためのものだったのか。川上は現在でも、この退場劇について多くを語っていない。

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