日めくりプロ野球 7月

【7月7日】1998年(平10) あと1球が悲劇に…ジョニーが泣き崩れた日本新記録

[ 2008年7月1日 06:00 ]

16連敗からの脱出目前で、同点本塁打を打たれたロッテ・黒木知宏投手はマウンドにしゃがみこんだ。鈴木コーチの言葉も全く耳に入らない状態だった
Photo By スポニチ

 【オリックス7-3ロッテ】次の1球で終わるはずだった。それが振り出しに戻った。いや、振り出しどころか、日本新記録の17連敗への道につながってしまった。
 七夕の夜、グリーンスタジアム神戸でのオリックス-ロッテ13回戦。9回裏二死一塁、ハービー・プリアム左翼手のカウントは2-1。3-1とロッテがリード、完投勝利目前の黒木知宏投手と福沢洋一捕手のバッテリーは、この打席で初めて内角のストレートを選択した。インコースが苦手のプリアムは外角球を3球ファウルしていた。そろそろ内角球で勝負に出るタイミングだった。

 内角低めの146キロ。139球目はすべての力を振り絞った力のある球だった。苦手なインコースにプリアムのバットが反応した。すくい上げるように振ったバットにボールが弾かれ、打球は左翼へ飛んだ。黒木の背中に冷たい汗が流れた。守備固めで入った佐藤幸彦左翼手の動きを目で追うと、佐藤がポールの方をぼう然と見ている姿があった。
 無情の同点2点弾。背番号54はマウンドに崩れ落ちた。うつむいたまま顔を上げることができず、ただしゃがみこんだ。微動だにしない黒木に内野陣が集まり声をかけるも、反応はなし。異様な光景にベンチの松沼博久投手コーチも動くことができない。仕方なく、鈴木悳夫バッテリーコーチが飛び出した。
 目を真っ赤にし、放心状態の黒木は一人で歩くことさえままならなかった。鈴木コーチに抱きかかえられるようにベンチの奥に引っ込むと、今度は一転、すべての感情を解き放ったかのように号泣した。その嗚咽はグラウンドまで達した。チーム25日ぶりの勝利を自分の1球でフイにしてしまった罪悪感に加え、右腕は限界に達していた。極度の疲労によって右ひじ、右肩をはじめ全身がけいれん。降板後は右腕が曲げられなくなっていた。
 6月13日から16連敗中のロッテ。この試合を落とせば、日本記録の17連敗になる。リリーフエース、河本育之投手の故障でストッパーに回ることになった黒木だが、連敗中に3度救援に失敗。“適材適所”で黒木を使うことを再度考えた近藤昭仁監督は黒木を先発に復帰させた。そしてこの試合こそが復帰第1戦だった。責任感が人一倍強いエースはそれだけに期するものがあったのだ。
 黒木が降板しても試合が終わったわけではなかった。だが、エースがマウンドに崩れ落ちたことで、ロッテナインに敗北の予感が頭をよぎった。藤田宗一、近藤芳久投手とリレーするも、延長12回裏、近藤が広永益隆外野手に代打サヨナラ満塁本塁打を浴びた。日本新記録の17連敗。負けを重ねるごとに日に日に増えていった左翼席のマリーンズファンも言葉を失った。
 ロッテは結局18連敗まで記録を更新。9日、小宮山悟投手がオリックスに14安打6点を許しながらも140球完投勝利。ようやくトンネルから脱出した。小宮山で始まった連敗街道は小宮山で終止符を打ったわけだが、連敗脱出後、小宮山は黒木に尋ねたことがあった。プリアムに同点弾を浴びた時のことだ。
 「なぜ、マウンドにうずくまった?」。黒木が答えられないでいると、小宮山は口を開いた。「まだ試合が続いていたじゃないか、あそこでマウンドにうずくまっちゃいかん、あそこでマウンドを降りちゃいかん、最後まで、すべてが終わるまで、諦めちゃいかんよ、クロちゃん」(平山讓著「マウンドの記憶」毎日コミュニケーションズ)。七夕の夜の本塁打は、プロとして生きる厳しさを敵と味方から教わったプロ野球選手・黒木知宏の第2のスタートだった。黒木はこの年、最多勝(13勝)、最高勝率(5割9分1厘)のタイトルを獲得した。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る