日めくりプロ野球 7月

【7月6日】1988年(昭63) 通算100号本塁打の日に…2人の運命を変えた外野フライ

[ 2008年7月1日 06:00 ]

90年4月21日、復帰1号本塁打を放った瞬間の巨人・吉村禎章。けがをした左足への不安は終始つきまとった
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 【巨人9-5中日】誰が悪いわけでもない。しかし、この日の札幌円山球場でのワンプレーは2人の野球選手にとって、あまりに重い十字架を背負わせることになった。
 首位を走る巨人は3位中日と対戦。9-1と大勝ムードの8回、捕手からコンバートした中日・中尾孝義中堅手の左中間への打球に2人の外野手が、それぞれ左右から駆け寄った。3回、米村理投手からプロ入り通算100号本塁打となる、13号ソロを放った吉村禎章左翼手が捕球する雰囲気だったが、100メートル11秒5の俊足、この回から守備に就いた栄村忠広中堅手が猛然と走ってきた。

 全速力の栄村。気が付いたときには、目の前に捕球体勢に入った吉村の姿があった。しかし、勢いがついた体は急に止められない。栄村の視界に入るとほぼ同時に2人は衝突。吉村が足を払われたような格好になり、栄村の上にかぶさるようにして2人とも倒れた。
 真夏の太陽が照りつける芝生の上で微動だにしない2人。審判団も試合を止める気配がない。慌てて呂明賜右翼手が転々とするボールをつかみ、内野へ返す。打った中尾は悠々と三塁へ。点差があるし、三塁打は痛くもかゆくもない。それより、全く動けなくなっている背番号7を巨人ナインは心配した。
 吉村はタンカに乗せられ、北大付属病院へ直行。「左ひざ外側のじん帯が断裂している」というのが医師の見解だった。「今月とオールスターはダメでも、8月には復帰してもらいたい」王監督は試合後にコメントしたが、何より吉村本人がそう願って、翌日東京に戻ってからのチームドクターの検査に望みを託した。
 検査結果は関係者を奈落の底に突き落とした。じん帯は3本断裂し、どんなに早くても全治6カ月。しかも手術をしなければならなかった。頑張っても来季の開幕に間に合うかどうか。下された診断は予想をはるかに超えた厳しいものだった。
 それでも落ち込んでばかりはいられなかった。早速渡米しスポーツ医学の権威、フランク・ジョーブ博士のもとでの手術に踏み切った。けがから1週間でのスピード決断だった。ジョーブ博士の診たてはもっと深刻だった。「野球選手でこんな大けがをした例を見たことがない。リハビリを含めて1年はかかる。それもうまくいけばの話だ」。
 2度の手術、過酷なリハビリ…。左ひざの神経は回復せず、球団に迷惑はかけられないと、支配下登録選手を抹消したこともあった。「1度だけでもいい。打席に立ちたい」。その思いだけが吉村の気持ちを支えていた。
 89年9月2日、東京ドームでのヤクルト21回戦。7回二死三塁。ついに吉村の願いがかなった。藤田元司監督が背番号7の代打を告げると、ドーム内はヤクルトファンまでも大きな拍手で吉村を迎えた。岡崎郁内野手と中畑清内野手の目は真っ赤、熱いものがほおを伝わった。奈良県の実家では88歳になる祖母がテレビに移った孫の姿に手を合わせながら見ていた。
 423日ぶりの打席。けがをした左足から吉村は打席に入った。三塁走者は中尾。札幌でけがにつながる打球を放った男は、89年からトレードで巨人入り。今やチームメイトになっていた。指揮官は粋だった。「楽な場面でとも思ったが、これからも厳しいところでやらなきゃいけないしね」とあえて同点のチャンスで吉村を起用した。情けで使うのではない。戦力としてみているからこその起用だった。
 マウンドは川崎憲次郎投手。吉村が大けがをした時は、大分・津久見高で甲子園を目指していたルーキー投手は「構えに迫力があった。投げづらいというか、攻め方が分からなかったので左打者には外角のカーブが有効だと思って投げました」。
 川崎にもプロ初勝利がかかっていた。打たれるわけにはいかなかった。3球目までカーブのみでカウント2-1と追い込むと、勝負球の4球目は142キロの外角直球。吉村のバットが反応した。打球はセカンドへのゴロ。全力疾走する吉村。決して速くはないが、アウトになるとしても野球をまたできることを証明するために思い切り走ってみたかった。
 余韻を残して右翼の方まで走り抜けた。二ゴロにため息をついた5万6000人の観衆だが、打席に入ったときよりも大きな拍手と声援がドーム内にこだました。
 「やったというか、走れたというか…。とにかくそういうのが…やっとできたなという…」。試合後のインタビュー。涙と感激で全く言葉にならなかった。それでも言いたいことは伝わった。最後に吉村はこう言った。「今は独りになりたい。独りでいろいろ思い出したい」。それ以上質問を続ける記者は一人もいなかった。
 吉村も苦しんだが、栄村も苦しんだ。俊足と広い守備範囲で東京ドーム元年の88年に王監督に抜てきされ1軍へ。しかし、あの事故以来、ファーム生活が続いた。復帰した吉村と涙の抱擁を交わした時も1軍ベンチにはいなかった。吉村が完全復活した90年のオフ、自ら志願してオリックスへ移籍。巨人時代のコーチだった土井正三監督を慕ってのことだった。92年に台湾に渡りプレーした後引退。長い間、あの事故のことがあり、球界と距離を置いていたと聞く。
 吉村は08年現在、巨人の2軍監督。次期1軍監督としての呼び声も高い。2人が交わることは今後あるのだろうか。

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