日めくりプロ野球 7月

【7月5日】1980年(昭55) オマエもどついたやろ!“追加”もあった球界初の退場3人

[ 2008年7月1日 06:00 ]

一本足打法で南海、西武、大洋と渡り歩き活躍した片平晋作。1181安打、176本塁打の記録を残した
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 【阪急7-4南海】内角高めの真っ直ぐ。左打席の一本足打法、南海・片平晋作一塁手は悠然と見逃した。ところが、後ろから聞こえた寺本勇球審の大声は耳を疑うものだった。「ストライーク、バッターアウト!」
 大阪球場での南海-阪急後期2回戦、7回裏、二死二塁。1点を追う南海は、阪急2番手の今井雄太郎投手から同点機を作った。打率3割の3番打者のバットに期待がかかったが、見逃しの三振に倒れた。
 「入ってないやん!」片平が絶叫するや否や、一塁側ベンチから広瀬叔功監督が飛び出してきた。寺本球審の前に立ちふさがり「高い。ボールや」と猛抗議。しかし、ダメダメと手を振って相手にしない。広瀬監督はとうとうキレた。

 寺本球審に正面から体当たりすると、首をつかみ「高かったり、低かったり、ストライクゾーンをコロコロ変えよって!ひどすぎるぞ!」とタンカをきった。寺本球審の顔も怒りで真っ赤だ。「退場!」とストライクのコールよりも大きく響き渡る声で広瀬監督に宣告した。
 広瀬監督が激高したのも分からないではない。6回、逆転された南海は一死満塁のチャンスで、代打・岡本圭右外野手のカウント2-1からの外角低めの際どいコースをストライクと判定されていた。この時も広瀬監督は「低すぎる。どう見てもボール」と抗議。肩を叩いたりしたため、寺本球審は「次やったら出すぞ」と警告していた。
 7回のチャンスも球審の判定で“つぶされた”とあっては黙っていられなかった。前期0・5ゲーム差で西武をかわし、かろうしで5位になった南海だが、後期初戦も黒星スタート。これ以上の負けは許されないだけに、指揮官は必死だった。
 騒然としたまま南海ナインが8回の守備につくと、ネット裏の関係者控室にいた堤パ・リーグ大阪事務所長が寺本球審を呼んだ。「片平選手もキミに暴力を振るっていたんじゃないか」。広瀬監督が首をつかんでいたため、気がつかなかった寺本球審だが、指摘があったため審判団を集め協議。その結果、一塁の守りについていた片平も“追加退場”になった。
 「オレが何かしたんか?何もしとらん」と片平。「小突いたろ」「いや、小突いとらん」などとやり取りしている間に、今度は南海コーチ陣がすっ飛んできた。新山隆史投手コーチが真っ先に寺本球審に手を出した。足で蹴ったうえに、右ストレートがあごに当たった。よろける寺本球審がこの日3度目の「退場!」コール。ストライク、ボールをめぐって球界初の3人退場劇となった。
 「片平の退場はチェンジになってからでしょ。おかしいよ。本当に腹が立つ」と新山コーチ。「ワシは今まで審判に手を上げたことはないが今日は判定がひどかった。腹が立つ」と広瀬監督。寺本球審は「片平の暴行は気がつかなかったが、新山コーチの暴力はひどすぎる。慰謝料を請求したいくらいだ。腹が立つ」。3人とも腹が立っていた試合は、阪急が追加点を加え勝利。南海は以後連敗街道を歩くことになり、最下位に沈んだまま浮上してこなかった。
 3人退場は00年5月6日にナゴヤドームの中日-横浜7回戦で中日・星野仙一監督、立浪和義内野手、大西崇之外野手に宣告されたケースがあるが、20年もの間なかった珍しい騒動。奇しくも中日の退場劇もストライク、ボールをめぐる判定によるものだった。

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