日めくりプロ野球 7月

【7月4日】2000年(平12) “エビス顔”まで10年 戎信行、ウイニングボールは「息子に」

[ 2008年6月30日 06:00 ]

初勝利のウイニングボールにキスをする戎信行投手。帽子のひさしには愛息の名前が記されていた
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 【オリックス6-2日本ハム】祈るような思いではなく、本当に祈っていた。9回裏無死満塁。4点差あるとはいえ、本塁打が出れば、オリックスの背番号65、戎(えびす)信行投手のプロ初勝利は消し飛ぶ。
 「どうしようかと思った」という抑えの木田優夫投手は3連打でピンチを背負ってようやくトップギアに入った。
 日本ハムの井出竜也右翼手、指名打者のウイルソン、野口寿浩捕手を渾身のストレートで3者連続三振。その瞬間、ベンチの戎は一生懸命“エビス顔”を作ろうとしたが、こみ上げてくるものが抑えられなかった。プロ10年目で初めての勝利の味。どうしても入団したかった故郷神戸のオリックスにドラフト2位指名された日から3510日が過ぎていた。

 「145グラムのボールにこんなに価値があるなんて…。息子にウイニングボールを持ち帰る。ただそれだけを思って投げた」。8回まで116球、4安打5奪三振。2点は失ったが、最後まで全力投球。MAX147キロのストレートを低めに集め、左打者へはシンカーが有効だった。ピンチになると、ユニホームの左ポケットに入れた息子の写真をグラブで何度もさすった。
 どうしても勝ちたかった。その1週間前の6月27日、大阪ドームでの近鉄11回戦。94年9月21日のロッテ25回戦(神戸)以来、5年9カ月ぶりの先発マウンドを踏んだ戎は6回一死まで2安打1失点と好投していたが、交代直後に牧野塁投手が右前打を打たれた上、名手イチロー右翼手がこれを後逸。初白星が逃げていった。
 この日は息子の1歳の誕生日。家族がいるからこそ、10年未勝利でも頑張ってこれた男にとって、特別な1日を白星で飾れなかったことは残念でならなかった。1週間遅れだが、まだ間に合う。その思いだけで投げ抜いた。
 「1週間遅れですけど、息子にプレゼントできます。少しですが最近ボールが投げられるようになったんです」。ヒーローインタビューを終え、アイシングしている最中も離さなかったウイニングボールを握り締めながら、息子の話になると笑顔が絶えなかった。
 兵庫・育英高を33年ぶりに夏の甲子園に導いた右腕は、希望に胸を膨らませてオリックス入りした。ルーキーイヤーの91年。本拠地が西宮から神戸に移り、監督は育英の大先輩・土井正三が就任。球団の期待は背番号に現れていた。戎に贈られた30番は、一時永久欠番も検討された、名将・上田利治前監督が付けていたもの。「大型ルーキーの励みになれば」と球団社長補佐に転身した上田前監督が快く譲ってくれたものだった。
 しかし、いいボールがありながら、精神的なもろさで痛打を浴び、なかなか1軍に定着でききなかった。それでも150キロ近い直球の魅力は十分で「オフになると戎をくれだの、譲ってくれだの申し込み殺到や」と仰木彬監督は後に明かしているが、その仰木監督自身が戎に毎年期待を寄せていた。
 花が開くと、すぐに満開となった。初勝利から立て続けに3連勝した戎は、7月の月間MVPに。シーズン8勝(2敗)を挙げると、防御率3・27でタイトルまで獲得した。
 01年に5勝し、02年は背番号1を付けたものの、シーズン途中にヤクルト・副島孔太外野手とのトレードでスワローズへ。右ひじ痛に泣き、03年の開幕2戦目で勝った1勝のみに終わった。04年の近鉄を最後に引退。通算15勝16敗1セーブ。引退後は大阪でレジャー施設の支配人をしている。

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