日めくりプロ野球 7月

【7月2日】1994年(平6) アンパンマン、あと1人で“ノーヒットノーラン”逃す

[ 2008年6月29日 06:00 ]

“アンパンマン”こと杉山賢人投手は左殺しのワンポイントとして4球団で活躍した
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 【西武3-2近鉄】“アンパンマンショー”は西武1点リードの6回二死一、二塁から始まった。西武の先発郭泰源投手のリリーフに立ったのは、2年目の左腕・杉山賢人投手。まず代打の大石大二郎内野手を空振り三振に仕留めてピンチをしのぐと、以後打者8人をMAX146キロのストレートを中心に、スライダーも駆使して完璧に抑えた。
 9回二死、打者はショーの幕開けで対戦した大石。さすがは15年目のベテランである。三振のお返しに見事ライナーで右前打。マウンド上の杉山の表情には悔しさがありありとにじみ出ていた。「あと1人だったのに…」。

 この試合、あと1人打ち取れば勝ち、というのもあったが、杉山にとってのあと1人は少し違った意味があった。実は杉山、6月21日の日本ハム12回戦(静岡草薙球場)から、大石にヒットを打たれるまで5試合打者26人に1四球を与えただけですべて抑えていた。大石を抑えれば、27個のアウト、つまり9イニング分のアウトということになり、5試合にわたる“ノーヒットノーラン”を達成することになったのだ。もちろん公式記録としては認められないが、杉山なりにリリーフ投手としてやり遂げたい目標ではあった。
 気を取り直して指名打者のラルフ・ブライアント外野手を左飛に打ち取り、3セーブ目をマークした杉山。それでも試合後は無安打無得点を逃したことに「大石さんのライト前は残念でしたねぇ。最近ストレートに勢いが出てきたんで、エイッ!て投げたらやられました」と後悔していた。
 社会人・東芝の投手として、都市対抗で若獅子賞を獲得し、バルセロナ五輪の野球日本代表として銅メダル。その勲章を引っさげ92年のドラフト1位でライオンズ入り。丸い顔と体形から“アンパンマン”と呼ばれ、親しまれたサウスポーは首脳陣の減量指令を拒否して、ルーキーイヤーに7勝2敗5セーブで新人王に選ばれた。静岡・沼津学園高(現、飛龍高)時代は、やせていたが「球にスピードが出ず、ウエートトレーニングをして体重を増やしたら、球にスピードが乗るようになった」経験から、「動ける体をキープすればいい」とダイエットを拒んだのだった。
 専修大学時代は岡林洋一郎(ヤクルト、90年ドラフト1位)、武藤潤一郎(ロッテ、92年ドラフト1位)に次いで「いいところ3番目のピッチャー」(杉山)だったが、東芝に入って急成長。東芝に入ったのも父親が経営する会社が東芝関係の仕事をしているため「親父の会社の役に立つかもしれない」という動機だった。
 1、2年目とも54試合ずつ登板したが、その後球威が落ち、99年シーズン途中に阪神へトレード。以後近鉄、横浜と3年続けてシーズン中のトレードという非常に珍しい経験をした。
 移籍先でも左のワンポイントとして重宝されたが、01年に西武入団時の監督だった森祇晶監督率いる横浜を最後に現役生活にピリオドを打った。通算333試合で17勝13敗17セーブ。06年から楽天の投手コーチを務めている。

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