日めくりプロ野球 5月

【5月24日】1976年(昭51) 「この野郎と思った」奥江英幸 巨人の連勝最多記録阻む

[ 2010年5月1日 06:00 ]

 【大洋2―0巨人】長嶋茂雄監督執念の左打者3人を使った終盤の代打攻勢も実らず、頼みの3番張本勲左翼手、4番王貞治一塁手のバットも不発でジ・エンド。5月4日、後楽園で中日に10―3で大勝してから始まった巨人の14連勝は、球団最多記録の15連勝を前にストップ。チーム打率3割を誇る打線が沈黙し、わずか2安打で完封負けを喫した。
 好調巨人打線をひねり上げたのは、大洋・奥江英幸投手。岡山東商高から日本石油、そしてホエールズ入りと、エースの平松政次投手と同じ道を歩んできた5年目の右腕は巨人打線に臆することなく、得意のカーブとスライダーを駆使し、強気の投球で141球を投げきった。

 「何を言っているかよく聞こえなかったけど、頭にきた。この野郎と思った」。初回、2つの四球と盗塁で1死一、三塁のピンチ。打席に王を迎え、奥江は巨人ベンチからの野次に燃えた。一歩間違ったスタンドへ運ばれる危険性も顧みず、内角のストレートを投げ込み、二塁ファウルフライに仕留めた。
 3度のメシよりケンカ好きと言われた、気短な男だがジャイアンツ相手にクールで遊び心も持ち合わせていた。「僕が勢いでビュンビュンいくというイメージがあるだろうから、わざと真ん中にゆるいボールを投げた。びっくりしてみんな打てなかった」。この初回以外、チャンスらしいチャンスがなかった巨人は、好投の先発横山忠夫投手を援護できず、リリーフに立った加藤初投手が7回、大洋の1番中塚政幸中堅手に右中間2点二塁打を浴び、決勝点を奪われた。
 期するものがあった。1カ月前の4月27日、同じ川崎球場での巨人4回戦。奥江は先発したが、わずか3分の1イニング3失点でKOされた。平松に次ぐ先発の柱として秋山登監督に期待されながら、肝臓など内臓不調で出遅れ、ようやく復帰してのマウンドだったが、最悪の降板となった。
 「みじめだった。あれで考え直した」。不調を体調のせいにせず、言い訳することをやめた。もう一度体を作り直し、次の先発の機会を待った。5月20日の中日7回戦(ナゴヤ)では6回2死までパーフェクト投球。最後まで投げ抜き、3安打無四球で二塁を踏ませない完封勝ち。5年目にしてプロ初のシャットアウトだった。
 そして迎えた巨人戦。「出来は中日戦を100点とすると、70点。スピードなかったし、コントロールはまずまずだったけど、巨人?そんなに怖いとは思わなかった。逃げたら王さんや張本さんには打たれるから勝負したよ」。足りなかった30点は度胸で補った。
 この年奥江は初の2ケタ11勝(17敗)をマークし、オールスターにも初出場した。プロ10年の生活で、最初で最後の球宴出場は、巨人戦完封の強烈な印象がもたらしたものだった。
 78年にロッテに移籍。引退後はかつらメーカーに勤務するなどしたが、最近では古巣の横浜で野球教室などのイベントにしばしば登場している。

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