日めくりプロ野球 5月

【5月18日】1986年(昭61) 近藤貞雄監督決断した「スーパーカー・トリオは解散」

[ 2010年5月1日 06:00 ]

 【広島2―1大洋】再三チャンスがありながら、拙攻で広島に連敗した大洋・近藤貞雄監督は番記者に囲まれると、開口一番こう言った。「トリオは解散です」。
 前年の85年、近藤監督就任とともに1番高木豊遊撃手、2番加藤博一左翼手、3番屋鋪要中堅手と足のある3人を並べた“スーパーカー・トリオ”が結成された。
 球団新記録の188盗塁のうち、3人で148個を成功させ、一躍他球団の脅威となり、大洋の象徴にまでなったが、2年目のシーズンは屋鋪が極端な不振に陥り、この広島戦が終了した時点で打率2割2分9厘。1点差で敗れた試合の敗因の一つは屋鋪が好機で2度凡退したことだった。

 屋鋪が放った85年の本塁打は15本。78年の入団以来、7年で16本塁打の選手が1年でほぼ同数のアーチをかけたことで、一発の魅力に取りつかれてしまい、打撃を崩した。近藤監督はクリーンアップから外すことで、屋鋪の意識改革を図ろうとした。スーパーカー・トリオ解散発言となったのだった
 「今のプロ野球、面白くないですよね。どのチーム勝つことばかりにこだわり過ぎて…。もちろん勝つことが最大の目標ですが、それにこだわりすぎて守りの姿勢になってしまっている。私はその前に、ファンの方々に、野球って面白いと思ってもらいたい。それには攻撃的な野球です。ホームランじゃないですよ。ベース付近でのクロスプレーやエンドランが成功した時の爽快感、これを追い求めたい」。近藤監督が大洋監督の就任に当たって述べた所信表明こそ、スーパーカー・トリオ構想の始まりだった。
 高木以下の3人が出塁すれば次の塁を狙う。サインが出ていなくても、行ける時は行け、というのがチームの方針だった。普通4番打者の打席の時は、一発や長打を期待し、あまり走者は動かないのが暗黙のルールだったが、近藤大洋には当てはまらなかった。4番レオン・リー一塁手の打席でも、高木も加藤も屋鋪もどんどん走った。時にはダブルスチールさえ仕掛けた。1イニングで盗塁がすべて失敗して3つアウトを取られたことさえあったが、近藤監督はひるむことなくスーパーカーをフル回転させた。
 85年大洋は高木が42、加藤が48、屋鋪が58の盗塁を決め、計188盗塁。広島の178盗塁を上回り、12球団トップとなった。その3年前の39盗塁から実に約5倍という驚異的な増加だった。盗塁死84も断トツのトップ。「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だよ」と近藤監督は全く気にしていなかった。
 結果的に近藤監督が大洋を率いた2年間は連続4位。前半はたびたび首位戦線をうかがったが、投手陣の弱さと打線の決定打不足で夏に息切れという展開になり、足でかき回したトリオの活躍に報いることができない日々が続いた。
 しかし、近藤監督がターゲットにした優勝候補の広島には14勝10敗2分けで11年ぶりに勝ち越し、巨人にも13勝10敗3分けで2年連続V逸に追い込んだ。
 トリオが解散した86年もチームは180盗塁でリーグ1位。前年優勝の阪神に16勝9敗1分けで大きく勝ち越した。「大洋は何をやってくるか分からない」。そう思わせただけで、相手を混乱させた近藤監督の作戦は見事に成功、大洋の主催ゲームの観客動員数もアップした。ファンに野球の面白さを知ってもらいたいという意図が通じた成果だった。

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