日めくりプロ野球 5月

【5月16日】1977年(昭52) 解体工事中の東京スタジアムへ 榎本喜八、深夜の42キロ走

[ 2010年5月1日 06:00 ]

 闇夜に浮かび上がる巨大スタジアム。しかし、兵(つわもの)どもが夢の跡。閉鎖から5年が経ち、解体工事が進行する中で6基あった照明塔も残すところあと1基になった。
 かつて東京、ロッテオリオンズの本拠地として、10年間その役目を担った東京スタジアム。もうすぐ跡形もなくなる野球場を背に一人の男が、1日おきに片道21キロ離れた東京都中野区鷺宮から夜になると走ってやって来た。

 この日の早暁、工事中のスタジアムの外周に現れたのは、オリオンズのウインドブレーカーにトレパン姿の40歳こそ、元ロッテの榎本喜八内野手。かつて2度の首位打者に輝き、ベストナインに9度選出、通算2314安打を放った天才スラッガーだ。現役引退から5年。一体何のために往復42キロ、ほぼフルマラソンに匹敵する距離を3時間以上かけて走り抜いていたのか―。
 東京スタジアムの正面玄関があった場所で足を一旦止め、呼吸を整えると、球場に向かって最敬礼した榎本。「どんなチャンスがくるかもしれない。その時に慌てない体力と精神を保っていなければならない」。現役復帰を狙っている、という噂も流れたことがあったが、実はいつ指導者として声がかかってもいいようにという意味でのトレーニングだった。
 孤高の人という印象が強かった榎本が、実はコーチとして選手を育成することに憧れを抱いていたことは、あまり知られておらず、2日に1回の東京スタジアム通いも榎本独特の行動、人に言わせれば“奇行”と思われていた。
 試合前に練習をせず、ベンチで座禅を組んでいた、外野フェンス際に立ったまま微動だにせず何時間も立っていた、自身の打撃が気に入らないと手当たりしだいに物を壊しまくった――。榎本の現役時代の“奇行”伝説は球界では有名な話。一方で榎本の野球、特に打撃に対する真摯な姿勢、並みの野球選手では理解しがたい独特の理論は、他の追随を許さぬほどのものであることは誰もが認めるものであった。
 しかし、それを現役の選手に伝授することは現実的ではなかった。時代は榎本が極めようとした“打撃道”を求めるよりも、いかに早く結果が出る方法で、戦力になる選手を育てるかが、コーチの役目となっていた。就任した監督と気が合ったり、球団フロントの印象がいいOBなど人脈が左右するプロ野球のコーチングスタッフ。気難しい理論派やひと癖もふた癖もあるうるさ型は、なかなかそのポストにはつけず、榎本はその最たる者だった。榎本の卓越した打撃理論より、現場は球団の方針に従うサラリーマンコーチの方を求めた。
 待てど暮らせど、榎本に声はかからなかった。打撃コーチとして若手を指導したいという希望を持ちながら、引退後球界とは完全に没交渉。入会資格のある名球会にも顔は出さず、榎本喜八の名前は完全に忘れ去られ、関係者の間でもいつしか話題に上ることもなくなった。
 榎本が来るべき日のトレーニングをやめたのは、それから5年後。引退から10年たった82年のことだった。

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