日めくりプロ野球 5月

【5月12日】1963年(昭38) 先発左腕梶本隆夫、3番でスタメン 第2試合は一塁手

[ 2010年5月1日 06:00 ]

 【東映6―1阪急】投球前のキャッチボールもそこそこに切り上げた阪急(現オリックス)の先発梶本隆夫投手がバットをかついで打席に急いだ。
 初回から阪急の猛攻で打順が9番まで回ってきた、わけではなかった。東映(現日本ハム)の先発土橋正幸投手は順調にアウトを2つ取り、走者はなし。東京スタジアムのウグイス嬢の澄んだ美声が場内にこだました。「3番ピッチャー、梶本隆夫」。

 高校野球でもあるまいし、プロの公式戦で投手がスタメンの3番に入ることは2リーグ制になった後、皆無と言ってよかった。確かに戦前の職業野球と呼ばれていた時代や戦後まもなくの選手が極端に不足していた時代は時々あった。例えば、1946年(昭21)7月7日、阪神の藤村富美男三塁手は投手として中部日本(現中日)5回戦(後楽園)に先発、勝利投手になったが打順は3番だった。
 梶本の打撃成績は過去9年で通算7本塁打。5月7日の近鉄戦では、満塁走者一掃の決勝打を放ち、チームの8連敗をストップ。連敗中1点以下の試合が5試合もあった貧打にあえぐ阪急打線のカンフル剤として、そのバッティングを見込んでの起用だった。
 左打席に入った長身の梶本に東映の安藤順三捕手がつぶやいた。「カジ、(責任が)重いのお。3番やからな」。岐阜・多治見工高でバッテリーを組んでいた同級生にプレッシャーをかけられた。「3番?打てと言われたから打っただけ。投手で出ているときはそっちが主でやらないと」と梶本。投げては10安打を浴びながら9回完投した。しかし、拙守に足を引っ張られ6失点で敗戦投手に。打者としては3打数無安打。チャンスに1本どころか、わずか3安打1点のブレーブスは梶本に好機で打順が回らず、西本幸雄監督の打順組み替えは結果が出なかった。
 20分後に行われたダブルヘッダー第2試合。さらに驚きのスターティングラインナップが発表された。「3番、ファースト、梶本」。今さっきまでマウンド上で全力投球していたサウスポーが、今度はファーストミットを持ち、守備に就いた。「高校時代にやっていたことがある」という言葉に反応した西本監督は数日前から練習させ、このダブルヘッダーで起用するつもりだった。「それほどウチの打線は重症なんだ」。西本監督は情けなさそうにつぶやいた。
 普通なら風呂に入っているはずの完投左腕は、監督の期待に応えた。急造一塁手は初回に球足の速い打球をトンネルする場面もあったが、3回の2打席目、東映先発の尾崎行雄投手から中前適時打を放ち打点1。が、悲しいかな、阪急の得点はこの1点のみでダブルヘッダーに連敗した。
 通算254勝で堂々歴代6位の勝ち星を誇る梶本だが、20年の現役生活で通算299安打13本塁打をマーク。打率は2割4厘と投手としてはかなりのハイアベレージでユニフォームを脱いだ。引退までに一塁を守ったのは6試合、外野も6試合守った。故人となった梶本をしのぶ時、関係者はこう口をそろえる。「エースなのに中継ぎでもリリーフでも連投でも嫌な顔ひとつせずに投げていた」。一塁でも外野でも代打でもそれは変わらなかった。温厚で後輩の面倒見のいい左腕は野球が大好きで、ブレーブスのことを愛してやまなかった。チームのためになるのなら。その思いを貫いた野球人生だった。

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